2014/5/20

A(ラ)からA(ラ)  雑感

「生まれたばかりの赤ちゃんは平均すると440サイクルのラで泣く。その後変声期までは、体の成長につれてラ音を中心に上下へ声域が広がる。

変声期を過ぎると、女性の方はそれまでの声域がやや上下に広がるだけあるのに対し、男性の方は声域全体が1オクターヴほど急降下する。

そして老いると、女性は声域が下がり男性は逆に上がる。この経緯を乱暴にまとめると、人間はみな、同じ高さの声で生まれ、途中で性差によって1オクターヴ以上も声域が離れるものの、、結局はほぼ同じ高さの声(赤ちゃんの時よりは約1オクターヴ近く下がった高さ)で死ぬということになる。」

引用-楽器からのメッセージ【音と楽器の人類学】 西岡信雄・著 音楽之友社 46頁

声の高さの経緯から幾つか興味深いことが思い浮かびます。かつてふとした切っ掛けで宝塚歌劇団の楽屋裏にお邪魔してラブフルートの個人レッスンをさせて頂いたことがありました。

この時、最初に美しい男装の女性とお姫様のような女性から挨拶を受けたのですが、立ち居振る舞いも身なりも男性なのに、声は無理して低くしているのでやや不自然というか、無理してるな…と感じた記憶があります。

男の子の産声が女の子より1オクターブ低かったら、ちょっと怖い?!引用した著書では、楽器の長さや大きさと音の高低を論じる部分なのですが、人間は成長した(長くなった)から音程が低くなるわけではないと言いたいところ、その導入部の記述です。

僕のところでボイスレッスンを受けられる方は、どちらかというと女性が多いのですが、音がどのように生まれてくるのか、呼吸と声帯との基本的な関係を重要なポイントとしてお伝えしています。産声は、文字通り呼吸と声が一緒に始まる瞬間です。この原点に可能な限り近いところでご自分の声の響きに出会う。

これは様々な道を辿って来られた個々人にとって、多様で複雑なプロセスから形成されている自己を根気良く解きほぐして行く地道な作業を意味します。言葉や知識に依存するタイプの場合、認識と現実(ご自分の実質)とのズレに直面し、さらに言葉を使って現状を打開しようとして行き詰まりを感じるというパターンを繰り返します。自分自身の体の中にある、小さな声帯が明らかに心のあり方、生き方と直結していること。この気付きと率直に向き合うことが、ボイスワークの始まりです。

発声はその人そのまんまなので、一人ひとり愛おしく感じます。無意識に力を入れたり、主張したり、特定の価値観を強調したり、客観性を維持しようとしたり、実に様々です。僕のポジションは、それぞれの響きが原初的な状態に接近するためのサポートです。

面白いことに、原初的な発声に近付くと、女性の声が男性的な声域と重なり始めるのです。自分の声って、こんな声だったのか…そんな印象を持たれることが多いようです。自分の奥にある響きは、身を守る様々な要素から解放された老年期を予見させるものかもしれません。

最初と最後は同じようなところに存在する声。なかなか興味深いことです。
声、言葉がどこから生まれているのか、自己の中心から生まれる呼吸と言葉が一体化する。心と言葉が一つになっている状態と言葉と内実が遊離している状態には、明らかな違いがあります。

人は誰しも、自己確信の中で自分の道を辿ろうとするのですが、知識や認識は容易に自己確信の状態を作り上げ、自己満足させるのが得意です。だからこそ、時折、自分自身はどこから言葉を生み出しているのか確かめる時間と場を持つ必要があるのだと思います。

並べたてられる言葉ではなく、その言葉がどこまで自分自身の内奥の響きと一つであるのかを丁寧に確かめて生きる事実を持っていることが大切だろうと思います。

ラブフルートのレッスンもボイスワークも、人生に組み込まれた大切な場であり、出会いなのでしょう。

同じ産声から始まったお互いが、いつしかそれぞれの人生の終結点に向かっている。知識と努力だけでは見出せない心と体の在り方そのものを素直に受け取る生き方。

どれほど知識が豊かで、雄弁であったとしても、心の奢りを支えにしている人が自分の姿に気付く切っ掛け…素直に心の扉を開き、声の響きの源に辿り着く魂そんな方々との出会いを楽しみにもう少し旅を続けて見たいと思っています。
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