2014/11/1

人生いろいろ 音階いろいろ  ラブフルート

これまで手元に届いたトンコリに関する音階。それは全て異なっている。最初に聞いたのはN氏が用いている音階。次はM氏から聞いた樺太東海岸の音階。さらにF氏から伝え聞いた音階。どれも異なる。

手元にある文献に記載されているものは、先に知らされた3人のものとは異なるものが5種ほど。少なくとも8種ある事になる。1オクターブという捉え方がなく、かなり平坦で変化の少ない音階もある。

これらの音階は、平均律の音階に当てはめて分類したものだが、実際にはかなり自由に感覚的に奏でられていたと思われる。こうした音階の多用さは、トンコリに限られたものではなく三味線なども地域特有の音階が用いられていたことが知られている。

では、ネイティブアメリカンの笛はどうだろう。現在はマイナーペンタトニックが代表的なものとして普及している。これはネイティブの音階というよりも、白人たちが関わることで広がったことと関係がありそうだ。いわば西洋音階を基準に音階を作り、ギターやピアノといった楽器とのアンサンブルを前提に演奏し始めた事と関連がありそうだ。

僕の手元にある、いわゆるネイティブアメリカンたちのフルート演奏には、基準とされる音階にとらわれず、自由に奏でられているものがある。一般的に普及している音楽のイメージからすれば、調子っぱずれで、音楽性が無視されていると感じるようなものがある。固定された音階はなく、個々の音があり響きがある。

統一された価値観ではなく、個々の存在と結びついた音。それが笛という形になり、何らかの音の変化を伴うものであるならば、僕たちの時代とは全く異なる音が流れる世界があったのだろう。

音の世界が近代的価値観や認識と同調するのも、ひとつの流れだとは思う。ただ、音がもたらす個々の存在との関係性が、画一的になることで失われるものも少なくないだろう。

自分であることを知ることよりも、みんなと合わせることにエネルギーが使われる。価値観が固定化され、統一的方向に向かうことで、個としての存在感が希薄になり、自分を見失うのは、有る意味必然だろう。

統一された価値観が個々の安心安全満足を生み出すと考え、個々の特殊性が抑圧される世界。逆に個々の価値の肯定感が良しとされ、統一された価値観に危険性や不安を感じる。二極化され対立的に捉えれば、人間関係は自ずと二分化されて行くだろう。

どちらでもあり、どちらでもない、漂う感じ。どちらにも加担せず、自由に生きながら、この世界の豊かさを感じるコウモリスタイルが良さそうだ。

手狭で自己満足的な価値観に囚われて、あれは違う、これが本当だなどとジャンルやセクトに固執して短い人生を終わらせるのは残念な気がする。

はてさて、どんな人が現れて、どんなスタイルのラブフルートを求めて旅を始めるのか…。固定化したペンタトニックの音階を求めるのもよし、オリジナルの音階を選択するもよし、アイヌ音階や古代の音階を手にするもよし。

応じられる範囲で、多様なラブフルートを製作し、演奏して行くスタンスを楽しむのが良さそうだ。

鼓動があり、呼吸がある。大地に生きる。この素朴な原点に立って生きながら、生まれて来る思いが響きになる…。笛の音はいのちの証のひとつなのだろう。

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