2006/4/17

ふきのとう  雑感

 今年の春のフキノトウを食べました。いつでもどこにでもあると思うと、なかなか動かない。そのうち季節が過ぎ去って、食べそこねる。それはまずいぞ〜と車をとめて、近くの土手で採って来て、味噌汁の具とふき味噌をほんの少し作って食べました。

 やっぱりほろ苦く懐かしい春の香りがいっぱいでした。天ぷらも美味しいんだよな〜と思い出したのですが、果たして今年は食べられるだろうか..

 食べられるかどうかは、時間がないとか、作れないとかではなく、気持ちが動くかどうかなのだと思います。身体が動かないわけではないのですから...気持ちと行動の組み合わせは生活のいろんなところで起こっているように思います。

 無理に動かせば、反動が来るし、動かないでいると別の反動が起こってきます。やること、やらなければならないことが多すぎるのかもしれません。あるいは、多すぎるのではなく、ちゃんと整理していないために選択ができずに終わるのかも知れません。

 そうこうしているうちに、動いてはいるものの身体と心が明らかに分離しているなと気づくことがあります。心がそこになくても動けるし、反応できるところが良くもあり、悪くもあるように思います。いつでも心が伴わなければ動けないとなると、社会の機能は麻痺するでしょう。かといって、心を伴わずに動き続ければ、これまた別の形で麻痺することになるのでしょう。

 こうした揺れ動きの中で自分なりの歩き方を受け止めていくのだと思うのですが、時として、ねばならない式の批判的意識が入り込むと自分をも他の人をも追い込むことになるだろうなと思います。
春にはフキノトウを食べなければならない!と叫ぶ人はいないでしょうが、フキノトウを別のものに置き換えて、かくあるべし、ねばならない式の意識に振り回されるままだと、人生もったいないなというところでしょうか。

 いたるところで顔を出しているフキノトウからのメッセージ。来年はどんな形で受け取るのかな..早くも来春の楽しみを土手に埋めてきました..。
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