2006/5/10

新しい物語が始まってる  雑感

 あれほど降り積もってあちこちに山を作っていた雪たちが、いまはすっかり姿を見せなくなりました。とはいえ雪捨て場にはまだしっかり雪が残ってはいるのですが..

 朝昼晩と続けて雪掻きをしても、まだ降ってる〜。そんなことが何度もあった冬でした。さらになかなか気温があがらず春はまだかな〜と何度もつぶやいて過ごして来ました。

 しかし、いまではそんなことは嘘のように、あちこちの庭で花が咲き始めています。この当然といえば当然の変化をじっくりと思い巡らす時間がとっても貴重だと思います。その変化の根元にある強い力を十分に感じるとき、感謝が生まれ、喜びが湧き上がり、自然とともに生かされている自らの人生へのメッセージを受け取ることになるように思います。

 やるべきこと、やらねばならないことが先行した生活からは退けられてしまう静かに思い巡らす時間。それは時間にすれば、わずか数分のことです。しかし、そういう生活が身に付くための密かな決断の時というものがあるように思います。自分の頭が知っている、分かっていると思っているものほど、実質から遠くにあるという皮肉な結末を迎えないためにも...そういう時があって、そこから明らかな変化が始まることが必要なのだと思います。

 先日のレッスンに参加された方の一人が「ラブフルートを吹いて、こんなに自分と向き合ったり、自分の心を感じるとは思わなかった..」と話しておられました。自分が何かをするという方向性で歩いておられると、この感覚がなかなか感じ取れないかもしれません。内的自分に触れているということ自体がどういうことなのかに気づくことが難しいのです。それだけ、文字や言葉、あるいは様々な情報や知識を優先した時間に浸っている可能性が高いからかもしれません。

 自然と共に生かされている事をゆっくり思い巡らす時間は素敵なものですし、そこで感じたことを実際の生活の中で実践することが楽しくもあり嬉しくもあると思います。

 先にハナミズキが動いたことを書きましたが、たとえばこの一本のハナミズキになってみることで色んなことが浮かび上がってくるものです。

 自らは動けない。どうしてこんな小さな家の、軒下になんか生まれたのか。夏になれば生い茂った枝葉が畑の日当たりを妨げてしまう。屋根から雪が落ちてくれば、それを邪魔してしまう格好になる。しかも自分も思いっきり傷ついてしまう。ある日、大切な幹のひとつが、家の邪魔になるというので切られてしまった。餌台に向かう鳥たちが、周囲を警戒するために留まるためには少しは役立ってるかもしれない。家の住人はときおり、茂った葉っぱや美しい枝に感動してるのを見たことがある。様々な季節の変化、気候の変化を体験してきた。向かいの工房では仲間の木を持ち込んで何か作ってる。いろんな人たちがやってくる。そして、急に足元が掘り始められたと思ったら。今は、広い平野の端にある丘の上に立っている。まさか、こんな日が来るとは思いもよらないことだった。でも、家の人は随分前から、自分のことを気にかけていたらしい...さて、これからどんなことが待ち受けているのだろう...。

 消え去った雪。惜しげなく柔らかな花びらを広げて春の歌を歌う花たち。そして姿が見られなくなったハナミズキ。丘の上に運ばれたハナミズキ。この春にも、またまた新しい物語が待っていました。
 
 きっと、このブログに立ち寄られる方たちのところでも、新しい物語が始っていることでしょう。
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