2006/6/8

呼び名  雑感

 イチイをオンコと呼び、さらにアララギと呼んでみる。ニレをアカダモと呼び、或いはエルムと呼ぶ。青森ヒバをアスナロと呼び、シナの樹を菩提樹と呼ぶ。七度かまどに入れてもまだ残っているからナナカマドと言われているけど、実際はよく燃える...。

 ひとつの樹木が、様々に呼ばれ、そうだと思われていたことが事実とは違う。こういうことをゆっくりと考えていくと、人もまたいろいろな呼び方をされて生きているし、事実とは違うことが、それらしく伝わっていることがあるな..と気づき始めます。

 つい先日、近くの山にシウリザクラを見に行ったのですが、ウワミズザクラとかイヌザクラという似たような花をつける桜たちがあるらしいのです。図鑑にかいてあるのだから、らしいという必要はないのでしょう。しかし、さらに別の資料を調べていくと、ちょっと違うな〜と思う内容にぶつかることも少なくありません。ということは、知ったかぶりはやめて、まずはじっくり眺めているのがいいのかもしれません。

 多分、人生の中の色んなところで、勘違いしたり、間違ったり、思い込んでることがあるのだと思うのです。確かに、自分のことを色んな呼び方をする人たちがいて、勝手にそれが増殖していくことがあります。しかし、その極みは、自分が自分自身を誤解していたり、勘違いしていることかもしれません。

 人は、かなり身勝手に相手のことを決め付けたり、信じ込んだりしながら生きているのかもしれません。本当のところは分からないのに、想像と事実とを一緒にしてしまうのです。そういうお互いが会話をする。それは形としては会話ですが、実際はそれぞれ自分が思っていることを主張したり、確かめる作業になりかねません。

 基本的に人は自分が否定されることを好みませんし、望んではいません。ですから、否定されるようなことを言われると、そんなことはないと言いたくなります。相手の見方のほうがおかしいと..思いたいものです。こういう性質を根元に持ちながら、相手のことを批判的に感じる生活を続けていますと、ほぼ確実に自分自身を誤解しながら生きていくことになるだろうな..と思います。

 何か言われれば、そういうあなたこそそうじゃないかと..。でも、相手の問題を指摘しても、自分自身が変わるわけではないし、問題がなくなるわけじゃない..。さて、自分はどんな風に、与えられた人生の時間を辿ればよいのだろう..。笛を吹いたり、吹き終わるころ、しばしばこういうことがさーっと漂って来ることがあります。

 みんなで見たシウリザクラは、ひょっとしたらウワミズザクラだったのか、それともイヌザクラだったのか。図鑑を見ればわかるというより、見てしまって逆にわからなくなってしまいました。太い幹に付いていたネームプレート。それを信じるしかない?

 はてさて、一本の樹木の見分けも付けられない、判別のポイントがわからないとしたら、果たして自分という存在が何なのかを知ることなどできるのだろうか?

 こういうときは、自然の中に出向いて、それとなく歩いてみるのがいいのかもしれません。アリたちが枝の内部を食い荒らし、それをキツツキが穴を開け、そこに風が吹いて、何か音色が聞こえてくるかもしれません。そして、自分自身が何者で、どこに向かっているかをそっと教えてくれるかもしれません...。自分に相応しい、秘密のネームプレートを首にかけてくれるかもしれません。
 
 ということで、この週末は何としても時間を見つけて、あのシウリザクラ?の住んでいるところまで出かけてみたいものだと思っています。
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2006/6/11  23:55

投稿者:ravensho

きっと自分が吸っている空気を生み出してくれてるからかもしれませんよ〜気になる木?
 考えたら、どうして「き」と呼ぶのでしょうね...

2006/6/11  14:36

投稿者:山田 英子

木の話を聞くとどうしてこんなにドキドキするのでしょう。

待って待って!今でかけるところなので後でゆっくり読んでみます。

消えたら困るので保存しておきました。

ありがとうございます。

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