TBありがとうござます。ふーむ、貴様(あなたさま)のページ読んだが訳がわからん。やまとことばを愛されているらしく、旧かなづかひ、難しい漢字。高島俊男が書いていたぞい。「日本語がまだ未熟だったころ漢語漢字が入ってきて、それを借り入れ用いることで、日本語は成長が止まった。少し高級な事は外来語である漢字によらねばなにも言えなくなってしまった。」吉本隆明も書いてるぞい。「漢字を音訓両方に使い分けて文を表記する方法をあみだした古代日本人の文化の異様な体験を精稠に語る小林が、どうして「天皇の意は『古語』の問題にあった。『古語』が失われればそれと同様に『古の実のありさま』も失われるといふ問題にあった。宣長は、さう直ちに見て取った。彼の見解は正しいのである。」とあっさりいってしまうのか合点ゆかぬ。」
神道は宗教では無い?無いだろうな。儒教を取り入れた日本人は「儒学」とした。もともと文字を持たなかった日本人はなんでもかも海外から受け入れ、その本質を咀嚼して自分の都合の良いものに変えて受け入れてきた。別にこれは自虐的な歴史感ではない。文学の範囲でいえば中国文学から多大な影響をうけたが日本人は、その秀才性で独自な発想を展開してきた。『尾花云々、、』の歌かは知らねどもわけがわからぬぞへ、、、、、
http://hyakumi.cocolog-nifty.com/