2009/12/30

批判は覚悟の上  上海2

自分の読書記録をみると中国近代史から、上海史に比重が移ったのが9月頃。それから今までの間に10冊程度の書籍とDVDを見た。 段々、固まってきた史観と今回の短い間だが、2回目の上海見聞で感じるところを書いてみたい。

19世紀後半から20世紀前半のほぼ100年の間は中国にとって試練の時代だった。 アヘン戦争(1842年)を契機として清朝中国は混乱を極めた。 内にあっては、小刀会の乱、太平天国の乱で国内は混乱し、そこに乗じて欧米列強が争って中国に利権を求め、上海はその時代最大の足がかりだった。 日清戦争、清仏戦争、そして辛亥革命による清朝政府の崩壊が1911年だっただろうか? その後、時代は太平洋戦争へと怒濤をうって流れていく。

今回の上海の旅はまさにその1世紀を考える旅だった。

結論から云えば、英国、アメリカ、フランスはもとより、日本もその中で中国にとって大きな惨禍をもたらしたが、 しかし英米仏の立場と日本は少し違うような気がする。 日本にとってはもし中国がこれら欧米列強に支配されたら次は間違いなく自国の植民地化だと理解していたはず。だからこそ国内GDPの半分を軍事費にかけて富国強兵策にでないといけなかった。 

それが日本の中国侵略の言い訳にはならないとは思うが、あの時代他に日本のとれる選択が果たしてあったのだろうかという思いもある。 

きっとこのようなことを書くと、中国の人から厳しい批判されるだろうが、正直そんな気がした。 この19世紀後半から20世紀前半に至る現代史について、公平で理性的な歴史批判が出来るのには、まだ後暫くかかるだろう。

エリック・ボブズボームは以下のような言葉を残している。

『ドイツや日本、あるいはイタリアが侵略国であることに疑義を挟む「まともな歴史家」はほとんどいなかった…』
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/921/trackback


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…今朝のニュースで英国人が中国で麻薬関連の罪で死刑を執行されたことについて英国政府が厳しく批判していることを知った。

私の立場は、

外国人と云えども中国で犯罪を犯せば、中国の国内法に従い、裁判にかけられ、有罪ならば中国人と同じように刑が科せられるのが道理だと思う。 そのことと死刑の是非は別の問題として捉えなければならない。 

それゆえ、英国の批判には正当性がない。 まだ英国は租界時代の感覚を持ち続けていると批判されても仕方がないと思う。

同じようなことは日本でも起こっている。 沖縄で交通事故を起こし人を殺したとされるアメリカ兵の容疑者は日本の警察の取り調べすら拒否している。これも同じようなセンスの問題だろう。
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