2013/9/26

『稲作漁撈文明』7  お勧めの1冊

『稲作漁撈文明』
AD240に東アジアで気候の悪化が起こる。それが匈奴をはじめとして五胡とよばれる牧畜民が華北になだれ込む、その規模は1,000万に及ぶとも。この後五胡十六国の時代に入る。

同じころ西欧でも「危機の三世紀」があったと佐藤彰一氏は述べる。佐藤氏によれば5世紀のゲルマン民族大移動より以上に歴史的転換をもたらしたとか。佐藤氏はあの「農民と修道院」の著者だろう。P275
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1万5千年前大きな気候変動で日本列島は大陸型から海洋型に変わる。それは陸続きだった列島が島になったこと。つまり対馬海流が日本海を洗う。この時、それぞれの場所で異なった生存戦略が取られる。西アジアでは麦作農耕と牧畜がセットになった畑作牧畜文明、東アジアでは湿潤な湖沼での稲作農耕と漁撈文明、そして日本では落葉広葉樹の森と海での狩猟漁撈採集の縄文文明。p288

この時代の縄文文明は世界の先進地域であったという。それは縄文土器をみれば判るとも。しかし農耕ではなく、採集生活だったので学会では認められていないとも。p291

何処かでも聞いたことがあるが、弥生時代と言えども遺跡から出土した遺物を調べると当時の弥生人は別にコメだけを食べていたわけではない。 むしろ主食はドングリ、栗が大きいとも。p299 この点は注意する必要がある、つい我々は学校での歴史教科書で弥生時代は稲一色だったと勘違いさせられる。これは大きな間違いのようだ。

では何故、稲作は急には広まらなかったのか?
 
著者によれば縄文後期の4,000年前の熱帯ジャポニカ、晩期の3,000年前に温帯ジャポニカがそれぞれ導入されたという。これを明らかにしたのは佐藤洋一郎氏のDNA解析による。p305 佐藤洋一郎氏とは『イネの歴史』 『DNAが語る稲作文明』『DNA考古学』『DNA考古学のすすめ』 の著者のようだ。
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それは1つには採集生活が十分な収穫を得られたことで高度な技術開発を必要とする稲作にわざわざ入る必要をなかったということだろう。

日本に本格的に稲作、それも高度な水耕稲作が入ってきたのは気候変動によりもはや採集生活では十分な収穫が得られなくなったことと、それまで大陸で開発され高度に成熟、完成した稲作が効率のよい収穫を保証するようになったからだろう。
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