2019/12/13

防災 & 火災保険 & 『琉球王国』  お勧めの1冊

<数値目標>
語学学習なし。
運動はトレッドミル200kcalとZumbaクラス1本。



<防災について考える>
今日も勉強する気になれず、午後から来客も予定されていたので休日ヴァージョン(汗)。『ハザードマップの活かし方』と『国家は破綻する』を交互に1日読んで過ごす。但し知らないことばかりで色々考えたり、webで調べたり、それほど読み進んだわけではない。まず『ハザードマップの活かし方』を読みながら考えたことを記す。『国家は破綻する』についてはあらためて明日にでも。

30年前に宅地を購入した時はそれなりに調べたつもりだが、今から考えると見落としが多かったようだ。ただ幸いなことに最終的には問題点は無いと結論できた。当時、一番気にしたのは台地上の造成地なので微地形を気にした。それは昔の熊本の家が花岡山の傾斜地にあり、一度近くで大規模な崖崩れが起こった経験があったから。幸い直接被害を被ったわけではないが、原因の1つが自宅前を通る雨水溝にあった。

この雨水溝、最初は何も覆いがない状態だったが、自宅の前から2軒の家屋に繋がる道が通っていて、そこの住民が相次いで自家用車を購入し(60年代後半正に日本が自動車社会になり始めた時期)、この雨水溝上にコンクリートで覆いをしたことが原因となった。つまりこの雨水溝が連日の雨で詰まり、道路上に雨水が溢れそれが道路を挟んで反対側の崖上に建てられた住宅側に流れ込み、これが石垣を大きく崩した原因となった。普段はなんということもない微地形や些細な原因で大事故が起こることを経験していたから。

同様なことは先年の大雨でも経験した。わずかに傾斜しているこの住宅地の下の方、自宅から50mくらいのところに位置するマンホールから下水が逆流しているのを見た。これを内水害というらしい、下水・雨水の量が限度を超え排水できなくなって溢れることを呼ぶらしい。それまで長い事住んでいるのに全く初めての経験だった。そうして見ると確かに自宅の道路は緩やかに傾斜しているのが分かる。ただしこれまで迂闊にもほぼ平坦だと思っていた。

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本の中では広島の2014年の災害、70人以上の死者を出した住宅地を例にとり詳しく解説されていた。写真を見れば特に問題のあるようには思えないが、それは宅地造成により以前の状況が一変し何処が谷側で、何処が尾根側だか分からないからだ。本来は造成が始まる前に調べられたらいいのだが、普通の住宅購入者にはその機会はない。写真中央は災害の起った近所で、見た目は同じだが安全だった箇所。この違いは専門家でないと判らないだろう。

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自宅の土地もどうやら坂道の上部半分が切土であと半分が盛り土のようだ。そう考える理由は大雨時、後者の土地がなんだか膨れ上がっているように感じたから。
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もちろんこうしたことは宅地整備後にしか見れない一般の購入者は知る機会はない。因みに自宅は台地の中央部で4方何処にも山はなく、3方が崖になっている。崖の周辺は自治体のハザードマップに黄色および赤色でリスクが示されているがその周辺には家が立て込んでいる。こうしたところは最初から購入対象外とした。家を建てた人は景色だけを考えリスクを考えなかったのだろうか?不思議に思う。あと、昔の災害の跡を示す碑が建っている場所の造成地も対象外とした。当然でしょう?! 災害が起こると行政の不備を唱える人が多いが根本は自己責任だと考えている。
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<火災保険の手続き>
来客は火災保険の手続きで営業の方が訪問。住宅金融公庫からローンを組んだときの保険がこの12月で切れるので、その後を継ぐ保険に入る。セコムは書類として家屋の登記のコピーが必要とのことだが、よく知らないので沢山ある書類のうちどれがそれに該当するか判らない。とりあえず全部揃えて準備。以前はそのような書類を揃える必要がなかったのだが?

必要とされた書類は法務局が発行する、「家屋登記記録」の「全部事項証明書」。幸い書類は揃っていて即、契約できた。その書類によれば、自宅は「軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺2階建」構造。軽量鉄骨ということは知っていたがそんな詳しい名称であることも初めて知る。書類をコンビニでコピーして一件落着。



『琉球王国』
赤嶺守著、講談社選書メチエ297、2004年初版。

14世紀後半、沖縄は北部、中部、南部の3つの王(山北王、中山王、山南王)が鼎立した。明朝の朱元璋は倭寇の脅威を防ぐため「海禁」をする代わりに琉球に破格の優遇処置をした(大量の船を下賜までした)p11  やはり沖縄が歴史の表舞台に上がったのは明朝の海禁が大きい。以前、沖縄の中継ぎ貿易を「隙間産業」と述べたが、まんざら間違いではない。
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グスク以前は縄文・弥生時代の影響圏にあった「北琉球圏」と台湾・ポリネシア・東南アジアの影響にあった「南琉球圏」がある。グスク時代はそれが統合された画期的時代。p20

11世紀に藤原明衡により書かれた『新猿楽記』によれば、交易品のうち、琉球諸島で産出するものは硫黄と夜光貝、前者は火薬、後者は器物に嵌め込む飾りに使われる。p23、p26


<データーベースとして>
琉球王国は15世紀末に中山王により統一し、1609年の薩摩藩の侵略・征服により琉球王国は「異国」として組み込まれた。p13

大東諸島(沖縄島の東南東500km、小笠原諸島とのほぼ中間地点、沖縄より)は1885年(明治18年)正式に日本の国土になり、尖閣諸島は1895年の閣議決定で領土に編入された。p6
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