2007/6/29

哲学は知的遊戯でよいのか?  試行,指向,志向、思考

6/28 宮沢喜一元首相が死去。不良債権問題を誰よりも先に警告を鳴らしたが、周囲の理解を得られなかった、あの時点で適切な政策が打ち出されれば「失われた10年は防げたかも?」先見の明のあった政治家。

<哲学は知的遊戯でよいのか?>
先日「哲学」の先生の話を聞く機会があった。 その中の一人の若い先生が「哲学は役にたつか?」という問いを自ら立て、ああでもない、こうでもないと議論した挙げ句最後に、

「役には立たないだろうが、そのような知的訓練があってもいい」 と、いうような趣旨の発言があった。 

たまたまスーダンで頑張っている、知り合いの医師をある講演会の演者に呼ぼうとしていたこともあり、それを聞いていて余り愉快な気持ちではなくなった。 

…思うのだが、自分の研究・学問が単なる「知的遊戯」に過ぎないとしたならば、その人はそれで満足出来るのだろうか? さらに社会の一員としてそれで良いのだろうか?

「学問が社会の役に立つ、立たない」 を議論するのではなく、
「どうしたら学問が社会の役に立つのか?」 に苦悩するのが学者の立場ではないか? 

彼に対する質問は、そんなこともあり、かなり厳しいものになった。
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/638/trackback

もう一人の人は、カントを研究する中から「自由」がカント哲学のキーワードであると考え、そこからあの「夜と霧」の著者であるヴィクトール・フランクルの研究に入り、
http://diary.jp.aol.com/applet/salsa2001/503/trackback
さらにそこから「生命倫理」の問題を取り扱うようになったとのことである。 非常によく判るというか、自分と同じ空気を吸ってきた人だと直感した。

学問・研究の評価に個人の世界観・価値観に対する好き嫌いで判断してはいけないと思うし、そうはしていないつもりだが、質問・討論ではかなり厳しい意見を言ったような気がする。

画像は28日帰宅時の西の空。星が綺麗、このすぐ後、宮沢氏の訃報を聞いた。
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