2021/1/17

『空海』3  お勧めの1冊

<阪神淡路大震災から26年>
今日はあの震災から26年とのこと。1995年1月17日のあの日、「日本の安全神話」が崩れたと思っている。そして今はコロナ禍。前者はそれでも不可抗力の天災だと捉えることが可能だが、後者は防ぐことが出来た人災。この差は大きい。
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<日曜日の1日>
7時過ぎにいつもの太った野良猫?が訪問。ちょっと今日はいつもより早い。顔を見ても逃げる素振りもなく堂々としている。昨日までの暖かさから一変、外気は3度と寒いが全然平気そう。今朝は肌寒いので、ドアを10センチほど狭く開けて今日も朝から「屋外読書」と洒落る。

現在通院している病院はコロナ患者や診察を受け付けない。万一、それに似た症状が出た場合に慌てないように役場のHPで発熱外来を持つ病院をあらかじめ調べておいた。以前は非公表だったが、今は流石に保健所が手一杯になっているからか、地元の自治体では病院が公開を承諾している場合に限り告示している。

一番近い病院は月1回通院している病院から1キロ程度離れた別の総合病院。今日コールド・ランとしてその病院までの道を確認した。距離にして3.5km、車で10分程度。ここにも介護付き老人介護施設が付属しているので、先の病院が老人介護施設故にコロナに対応拒否をしているわけではなさそうだ

今読んでいる、『浪費するアメリカ人』の著者はアメリカ人の場合、「商品によるコミュニケーション」として住宅と服装を挙げる。住宅はともかく、服装はどうだろう? 個人的には疑問。少なくともカルフォルニアでは誰もがジーンズ*とTシャツのイメージがある。私もそれが身についたが、私立大学に移ってから当時の学生部長(のちの学長)からイエローカードを渡されてジーンズをやめた(あるいは白衣で誤魔化した)口だ(笑)。 もしかすると著者が東海岸の、ハーバードの教授だからかもしれない。
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この本は非常に私には読みづらい。何故ならこの本には資料が皆無で、全て文献の結論だけで議論されるからだ。こうした本は大抵途中で放り投げる場合が多いが、今のところ5分の1ほど読み上げている。さて、続けて読めるか?

それはともかく、この本を読もうとした理由は、実は何故、リーマンショックが起こったのかという背景を知りたいためだ。別にそのことについて書かれている保証はないが、どうして金銭的余裕がないにも関わらず分不相応な住宅を持とうとしたのか? それには住宅が本来手の届かないはずの所得層にもシンボル化し、かつそれが手に届くと錯覚させたマヤカシのローンが提供された。

*但し、著者はジーンズがファッションとして下層から上層に伝わったものとして挙げている。p68




『空海』3
空海は謎の多い人物である。それは宗教的な著作以外記録を残していないことと関係があると思う。その点で詳細な紀行文を残した円仁とは対照的で、現代の我々は円仁の紀行文を通して唐代の中国を知ることができる以上に、円仁自身の人となりも知ることができる。

例えば、『精進料理一人前が平均100文、ロバを輸送に20里使うと20~50文。黄河の渡し船は1人5文、ロバは1頭15文』 と記録する円仁には記録魔と呼ばれてもいいような人柄を感じられるがどうだろう?
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また著者は空海を『真面目で合理的な実務家』だとするが、p62 どうだろう? 真面目で合理的な実務家であれば尚更、細かい記録を残すものだと思う。この意見には同意できない。 

また、さらに別のところで著者は僅か2年の滞唐の間に、後の社会事業家としての空海の偉業を通して『唐で学んだ土木技術』を挙げるが、これもとても同意できるものではない。p97 

わずかな時間であればこそ彼は教学と宗教体験に全ての時間を惜しまずかけたはず。土木技術など眼中にはないはず。むしろ、これらの業績は後世の作り上げた虚構ではなかろうか? 

私の想像する空海は深淵な宗教的世界に沈潜したカリスマ的人物の方が想像しやすい。だから円仁のように身の回りの細かな出来事を記録する時間も興味もなかった。 確かに彼の業績とされる、例えば香川県の満濃池の修築工事や手芸種智院の創設なるものは存在するが、それは彼の持つ<巨大なカリスマ性>により大衆や朝廷を動かした効果の方が大きかったのではないかと思うが、どうだろう?

空海がどのような教学、宗教体験を持っていたとしても、当時の仏教が国家鎮護と無病息災の現世利益的なものである以上。また、それまでの仏教そのものが神道との混淆的存在、アニミズム的要素もふんだんに含んでいた以上、空海自身の力の及ぶところではなかったはず。

このように考えるのはやはり、私が宗教者ではなく科学的志向の強い人間だからだろうが…
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