5/20第20回前夜の決断
「今宵こそ 思い知らるれ 浅からぬ 君に契りの ある身なりけり」
鳥羽上皇の葬儀に出席することを許された西行がその時に詠んだ歌です。
平忠正(ただまさ豊原功補)は、1133年に鳥羽上皇より勘当され、以後官職につくこともなく、頼長(よりなが山本耕史)の警護をしたり、1152年には、頼長の家司職事も勤めていたそうで、鳥羽上皇の信任厚かった兄の忠盛、清盛とは元々仲が悪かったようです。池禅尼(和久井映見)は、崇徳院の子供の重仁親王の乳母だったのですが、実の息子の5男、平頼盛(よりもり西島隆弘)に崇徳院は負けるから清盛に従うように言います。
清盛は家族を家成家に避難させますが、経子(つねこ高橋愛)と長男の平重盛(しげもり窪田正孝)はのちに結婚します。
ところで、来週5月27日は、「百人一首の日」です。藤原定家の「明月記」の文暦2年5月27日の頃に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられているためです。もっとも、この納められた歌集は「百人秀歌」の方だと思われます。1221年の承久の変より14年後の1235年において、後鳥羽院や順徳院の歌を公にするとは考えられないからです。
毎回、視聴率うんぬんが問われてますが、昨年の「お江」はばからしくてほとんど見てませんでした。今年の「平清盛」は、確かに話の筋が分りにくいかもしれませんが、一つ一つの場面に見せられ、今回は為義家臣の鎌田親子の別れのシーン、正清と義朝との再会シーンに胸つまる思いがしました。