7/15第28回友の子、友の妻
平治の乱の終結の後、清盛は、1160年夏、43歳にして正3位参議の位につき公家となり、平氏一門は平家と呼ばれるようになりました。史実に則りながらも、記録に残っていない義朝の最後、頼朝の助命、常盤御前の扱い方など、そういう部分でのドラマの展開には見ごたえがありますね。
ドラマの最後に出てきた籐九郎(塚本高史)は、安達盛長(あだちもりなが)のことです。頼朝は、流人とはいえ、乳母の比企尼(ひきのあま)や母の実家である熱田大宮司の援助を受け、狩りを楽しむなど比較的安定した自由な生活をしていたと思われるそうです。
また源氏方に従ったため所領を失って放浪中の佐々木定綱ら四兄弟が従者として奉仕していました。
比企尼(ひきのあま)は1180年まで20年間頼朝に仕送りを続け、その娘の一人が籐九郎(安達盛長、塚本高史)に嫁ぎました。
籐九郎に嫁いだ娘が、丹後内侍(たんごのないし)と呼ばれ、「無双の歌人」と言われていたそうです。京の二条院に女房として仕えており、妻の縁で頼朝に仕えたと見られます。二条院には源頼政(よりまさ宇梶剛士)の娘二条院讃岐(92番「わがそ」)が、女房として出仕してました。
NHKの公式HPの登場人物一覧第3期を見ますと、平家家臣に家貞の子として貞能(さだよし)の名前が載ってます。前回紹介しました家継は長男で貞能は次男です。貞能は、平重盛(しげもり窪田正孝)の次男資盛(すけもり)の補佐役を任されており、九州方面で活躍してました。長男の惟盛(これもり)には、伊藤忠清(ただきよ藤本隆宏)が乳父でした。
貞能(さだよし)は、平家滅亡後の1185年6月に縁者の宇都宮朝綱(ともつな)を頼って鎌倉方に投降します。昔の恩義に報いるために頼朝に助命嘆願して認められ朝綱に預けられました。宇都宮朝綱は頼綱(よりつな1172−1259、88歳)の祖父です。頼綱(よりつな)の母は、平忠正(ただまさ豊原功補)の長男長盛の娘ですから、宇都宮家と平家は昔からいろいろな縁があったようですね。