9/23第37回殿下乗合事件(てんがののりあいじけん)
松殿基房(もとふさ細井茂樹)に関する逸話として最も有名なのが平家物語で有名な「殿下乗合事件」です。平家物語では、清盛が300騎の兵で基房を襲い、重盛が関係者を勘当し資盛を伊勢国で謹慎させたとなっています。そしてそれを聞いた人々は、平家の悪行を怒ると共に重盛を褒め称えたとなっています。
ただし、九条兼実(かねざね相島一之)の日記「玉葉」によると、10月21日報復のために襲ったのは重盛の兵となっています。しかし数日後には共に参内しているので和解してたのでしょう。
30日には後白河院の近臣の者が福原の清盛を尋ねており、殿下乗合事件の処理について清盛と協議するためだった可能性が高いと言われています。12月9日、基房が太政大臣となったのは、事件で被害を受けたことへの慰撫と考えられています。
事実は分かりませんが、重盛を評価している慈円も「愚管抄」の中で困惑しています。またこの事件のために21日の高倉天皇の元服の儀が翌年1月に延期となりました。
天皇元服の儀式に、重盛は欠席しており、この儀式の進行に携わったのは、建春門院や平時忠(ときただ森田剛)の異母兄弟、平親宗(ちかむね)と中納言に昇進していた異母弟・平宗盛でした。宗盛の台頭は、重盛の後継者としての地位を脅かすものとなります。