11/4第43回忠と孝のはざまで
今回は、登場人物全員が、悲喜こもごも涙してましたが、あと7回となりました物語も、毎週涙なくしては見られなくなくなるのでしょうか。
源 頼政(みなもとのよりまさ)は、平家が専横を極める中、それまで正四位下を極位としていた清和源氏としては突出した従三位に叙せられたことから源三位(げんざんみ)と称されました。
頼政の位階は正四位下でしたが、従三位からが公卿であり、正四位とは格段の差がありました。清盛の父、平忠盛(ただもり中井喜一)がなりたくてもなれなかった位です。
70歳を超えた頼政は一門の栄誉として従三位への昇進を強く望んでいました。1178年、清盛の推挙により念願の従三位に昇叙しましたが、
「のぼるべき たよりなき身は 木の下に 椎(四位)をひろひて 世をわたるかな」
という和歌を詠んだところ、清盛は初めて頼政が正四位に留まっていたことを知り、従三位に昇進させたという話が残っています。
歌人として優れていた頼政は藤原俊成(83番よのなかよ)や俊恵(85番よもすがら)、殷富門院大輔(90番みせばやな)など多くの著名歌人と交流があったことが知られ、その詠歌は『詞花集』以下の勅撰和歌集に計59首入集しており、家集に『源三位頼政集』が残っています。92番「わがそでは」の二条院讃岐は娘です。
最後は以仁王とともに平家打倒のために挙兵しますが、戦い敗れ宇治平等院にて自害しました。享年77歳。
辞世の句
「埋木の 花咲く事も なかりしに 身のなる果ては あはれなりける」