こちらの記事で、個人所有となった元東海電気鉄道のバスを特集した(もはや数年前だな…)。多くは旅館送迎用などの用途を持って所有となっているものが多いが、中には…。
その車両との出会いから現在までを、インタビュー記事を交えてご紹介します。
第7回となる特集は、東静バスからとなります。
『トラックから乗り換えたドライバー人生』
宗藤 孝一(東静バス沼津営業所 主任バス運転士)
車両:三菱ふそうエアロキング U-MU525TA改(1993年式)
*この画像のうち人物の画像は
似顔絵イラストメーカーで作成し、バスの画像と合成したものです。
見た目が怖そうで一見近づきがたいが、話してみたら物腰は柔らかい。他の運転士仲間からは『おやじさん』と呼ばれて慕われている宗藤氏。現在は運転士主任として、後輩の指導をする傍ら、現在は全盛期に比べて運行本数が少なくなった高速乗合バスを中心に乗務している。
そんな宗藤氏が保有しているのは三菱ふそうエアロキング。多く知られているモデルとは違い、一世代前のモデルであり、現存車両もそこまで多くないものと思われる。今回は、そんな車両を保有する宗藤氏に、この車両を購入した経緯などとともに、スポットライトを当ててみたい。
Q:この車両との出会いは??
宗藤:この車両の元保有会社…愛佳交通から東静バスが引き取ることになり、それに伴う回送の際、この車両を私が沼津営業所まで運転してきた時です。このバスは引き取り後、高速乗合路線用に転用する改造を受けて、当時の東静バスが手広く行っていた高速乗合路線のうち長距離便…高速東京線の予備車として使われる予定でした。しかしながら、すぐに改造されたわけでもなく、東静バス主体で一時期行っていた、中古バス販売のブースの中で…商談などを行う事務所として使用され始めたのです。この販売自体も一時的なもので、業務終了とともに、先に改造された方1台と同様の改造を受け、高速路線用に転用改造される予定でした。しかし中古バス販売業務終了直前に計画中止、既に改造された1台はそのまま残ることになりましたが、まだ未改造だったこっちの車両は廃車・解体されることに。それで私が購入すると名乗りを上げ、業務終了とともに譲渡してもらいました。当初は元所有会社であった愛佳交通のカラーリングが施されていましたが、そのカラーリングをベースに色を替えてあります。
(取材班調)
愛佳交通時代の同車(愛佳交通E33101)
愛佳交通では中古車両として2台の旧型エアロキング(U-MU525TA改,旧E33101及び旧E33102)を導入し、2階建てバスという特徴を生かし、展望性の良さを売りにして、定期観光バスを主に使用していた。同様の使われ方をしてきた車両として、同時期に高速路線バス運行目的に2台導入していた当時の新型エアロキング(BKG-MU66JS,E33103及びE33104として登録)があった。
しかし、次第に利用客が減少してきたこと、より新しい年式で"中2階"と言われるUFC(アンダーフロアーコックピット)構造の大型観光バスが導入され、大型で使い勝手の悪い2階建てバスは敬遠された。同時期に東静バスでは長距離高速乗合バスの運行開始を前に車両調達を計画。愛佳交通で放出予定だった4台(うち2台の新型エアロキングを本使用)を購入し、改造の上で前述2台を投入。予備車扱いの旧型エアロキングは後日改造の上で予備車使用…という計画だった。
旧型エアロキングの改造予定図
1台の改造が終わった直後に投入計画中止。中古車販売ブースで事務所使用されていた方の1台は廃車し、先に高速バス転用改造を受けていた方のエアロキングは保留車とされた(…とはいっても、登録抹消状態ではあったが…)。当初の予定通りに高速路線に使用されることも、その予備車になることもなく廃車処分される運命に。既に改造されていた方の1台は登録抹消の上で三島函南営業所の一角で、休憩室として使用されているそう。
Q:この車両をお迎えになった理由は??
宗藤:引き取り当初から、このバスに対して不憫に思ったのでしょう。同型車とともに高速乗合路線に使用されたのであればまだ救いはありますが、最終的に決まったのは廃車・解体という運命…。まだ走りたいと、この車両が訴えてきている気がして…。購入する決断を下したのは、そういった単純なものですよ…。他の人から見れば、おかしいと思われると思いますが。
Q:そういえば、前職は違ったそうですね…??
宗藤:実は当初からバス運転士をやっていたわけではありませんでした。昔は個人事業主という形で大型トラックのハンドルを握っていました。その日暮らし、荷物を求めて全国をふらり…そういう運転手で、家へ帰れるのは2か月に1度とか、そんな感じでした。それが…次第に規制が厳しくなって、止めが2003年だかの規制緩和…新規トラック業者が多数できたことにより、個人営業のトラックは価格競争に負け、飾っていた装飾品を理由に敬遠され、ほとんど相手にされなくなりました。同時期に私が持っていたトラックが故障、車検切れも近かったために廃業を決断。トラックは中古業者に売却し、私はバス運転士募集をかけていた、東静バスに入る事となります。これまでトラック運転手としてのキャリアはありましたが、バス運転は一から…トラックの経験は多少は生きましたが、乗せるのはモノを言わない荷物から、モノをいう乗客へと変わりました。それで案内や対応をしなければいけないのですから、本当に大変でしたね…当時の主任からは厳しく言われましたよ(苦笑)。
Q:現状はどうでしょうか
宗藤:高速バスのハンドルを握って高速道路を走ると、時々猛スピードで追い抜いていく大型トラックを目にします。そのハンドルを握る彼らは、時間を追い、そして時間に追われて、厳しい制約の中で走っている人たちです。かつて同じ立場にいた人間としては、今は本当に大変になったなと、傍目にも思います。時間を追う・追われるという立場は、乗客の安全と定時運行を求められている私たちとも変わりませんが…。今からトラック業界に戻りたいか聞かれたら、今は思いません。既にバスのハンドルが馴染み、生活の中にトラックではなくバスがある…そういう感じになったからですね。今はとにかく、自分が運転するバスで、1人でも多くの乗客が快適に移動してもらえること、安心と快適を提供できる運転士が1人でも多く育ってくれることを願っています。
嘗てトラックのハンドルを握り、長距離で荷物を運んでいた宗藤氏。今ではバスのハンドルを握って、地域路線バスの乗客らを日々運び続けている。そんな中でも、後輩として入ってきた運転士たちの指導を行い、安心と快適を提供できる運転士を1人でも多く育てるべく、今も奮闘を続けている。その傍らに佇む愛車は、走る機会はあまり多くない。それでも現役時代の華々しい活躍から一転して不遇の時を過ごし、新天地となるはずだった場所でも不遇の扱いをされ、必要とされずに姿を消す運命だった。そんな所を宗藤氏に引き取られ、ようやく安住の場所を得て、安堵しているかのようにも見えた。今では時折…宗藤氏の仕事仲間や知り合いを乗せて走っている。

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