消去法の達人たちは、’ああでもなければ、こうでもない’ と力説する。
無哲学・能天気であるから、自分は ‘どうであるか’ を述べることはできない。
過不足のない筋の通った世界観がない。空想になる。
哲学的な団結ができない仲良しクラブだから、日和見である。
つかみどころがない人物が多く、離合集散が激しい。
日本語には時制がないから、現実と非現実の区別ができない。だから、有意義な議論というものができない。
理想を述べると「そんなことを言ってもだめだぞ。現実は、そうなっていない」と返される。
それで、自己の理想に向かって生涯努力する態度が保てない。
未来時制の文章が書けないのでは、脳裏に筋の通った未来社会を構築することも困難である。
代議士といえども、議論のための代理人となることは難しい。
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