気まぐれ日言己

 あめふらし@管理人の「独り言」みたいなものです。できるだけ更新するよう努力いたします。(^^;)

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投稿者:noga
ひと・人により意見は違う。
だから、社会のことは政治的に決めなくてはならない。
議場では、誰かが相手に意見を譲ることが前提になる。
この場合、小異を捨てて大同につく。
無哲学・能天気では、大同 (哲学) はない。
大同がなければ、小異にこだわらざるを得ない。
ここでは、大同につく話が小異を足して二で割る話にすり替えられている。

小異は山ほどある。‘議論は、まだまだ尽くされていない’ ということになる。
政治家は、結党と解党を繰り返して、離合集散を本分のようにしている。
政治哲学の無いところに、政治音痴は存在する。温故知新が必要である。
国民に‘我々は何処から来たか。我々は何者であるか。我々は何処に行くか。’ を考える習慣がないと、政治は迷走する。

所詮、この世は仮の世。真っ当な世の中はこの世の外にある。
住み慣れたこの世に別れを告げて、まったく新しい来世に暮らすことになったら、あなたはどのような世の中の到来を望むか。
ひたすら、現世のガラパゴスを願うのか。異変がなければ天下泰平の世の中と言うことで、年中行事の繰り返しに明け暮れる。
それでは、我が国は世界に取り残されてしまう。あなた自身に世界観はあるのか。
いつまでも、(我が国民の大同である) 泰平の世の中に住む能天気の日本人ではいられない。
アングロ・サクソンの哲学から次々と繰り出されてくる現実対応策に翻弄されることになる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/


http://sns2.sasayama.jp/modules/topic/topic_view.phtml?id=79090&grpcd=112695&o=&l=20
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