実家でとある書類を探していたら、親父の遺品の中から
かな〜〜り昔の戸籍謄本が出てきました。
発行されたのは大正10年5月のこと。
おそらく祖父が何かで提出するために謄本をとったのでしょう。
それがそのまま残っていたのでしょう。
これがその戸籍謄本。
今のようにプリンターで印刷ではなく、
一枚一枚原本を見て、一字一句間違いなく書き写していた
ようです。
さぞかし手間と時間がかかったことでしょう。
戸籍謄本をみると、
主は曾祖父となっております。
驚くことに、曾祖父の亡父、すなわち高祖父の名前まで
記載されています。
曾祖父(3代前)の名前は知っておりましたが、
高祖父(4代前)の名前を知ったのは初めてです。
明治34年生まれの祖父は曾祖父の四男でした。
曾祖父の出生は文久時代(1861.3.29〜1864.3.27)
曾祖母の出生は安政時代(1855.1.15〜1860.4.8)
ともに江戸時代末期の生まれ。
幼少時代は刀を持ったお侍様がうろうろしておられた時代。
黒船来航〜桜田門外の変〜明治維新の激動の時代を
リアルで過ごした世代です。
そして日清・日露戦争も体験されたわけですな。
曾祖父の長男さんが、明治38年2月に22歳で亡くなられて
いるのは興味深いところ。
黒溝台の戦いの後か・・・。
散華されたのかもしれません。
この時代は家基本の戸籍制度なので、祖父の兄弟と従兄弟も
同じ戸籍に入っています。
なので他にもいろいろ記載されていますが、ちと書けない話なので
割愛しますです。
戸籍からいろいろと想像できるのはおもしろいです。
さて、この戸籍によると明治9年(1876)に曾祖父が戸主になって
いるので、その頃に高祖父は亡くなった模様。
謄本が発行された大正10年(1921)において、曾祖父は61歳、
曾祖母は63歳。
当時としては後期高齢者(終末期か?)に入る年齢で、
おそらく大正後半〜昭和初期には亡くなれていると思います。
(意外と長生きしたかも・・・)
こちらは謄本であることの証明。
島根県簸川郡(ひかわぐん)荘原村とあります。
(公的な記録にお名前が残っているので、村長さんのお名前は
消しておりません。)
JR山陰本線に荘原という駅がありますが、その付近にあった
村です。
昭和30年に付近の村々と合併して斐川村のちに斐川町となり、
平成23年に出雲市と合併、出雲市斐川町となっています。
宍道湖の南側か。
この付近は訪れたことないなぁ。
ちなみに母方の祖先を辿ってゆくと鳥取県に辿り着きます。
私のルーツは出雲にあるようです。
なにはともあれ、あめふらし@管理人の3代前までは
日本人であることが判明したわけです。
ちなみに今の戸籍制度の元になった制度ができたのは
明治5年(1872)のこと。別名壬申戸籍というそうです。
これ以前はお寺や神社などにある過去帳などを見ないと
分からないようです。
およそ150年ほど昔にまで遡って家系を確認できる
戸籍制度はすごいですね。
少なくとも日本人であるかどうかが分かります。
この制度を壊そうとした連中、何を狙っていたか分かりますね。
とりあえず、残っている私の戸籍謄本や原戸籍謄本は
大事に保管して、子孫代々受け継げさせます。
いつ記録が無くなるか分かりませんからね。

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