■少し前のことになりますが、報告を。11月19日(土)・20日(日)、東京を経由して岩手県に出張してきました。「NPO法人カシオペア連邦地域づくりサポーターズ」の「地域づくり助成事業中間報告会」に副審査員として出席するためです。
■ところで、東京を経由するついでに、時間をみつけて、六本木ヒルズへいくことにしました。六本木ヒルズ・森タワーの53階にある森美術館で開催されている展覧会「杉本博司 時間の終わり」が開催されているからです。ブログを通じて知り合った東京在住のMさんから、アーティスト(写真家)杉本博司さんについて刺激的なお話しを伺ったり情報をいただき、自分でも時間をとってじっくり見てみようと思ったのです。
【上左】六本木ヒルズの森タワー。【上中】森美術館の入り口。【上右】52階の展望階「東京シティビュー」からみた東京。左上のほうに、皇居と国会議事堂が見えます。【下左】展望階にあるカフェ。天気がよければ、むこうには富士山が見えるはず。【下中】六本木ヒルズの模型。【下右】これは不思議。コロシアム状に見えます。
■「杉本博司」の写真をみて、そして彼の『苔のむすまで』(ミュージアムショップで買って、岩手にむかう東北新幹線のなかで読みました)を読んで、いろいろ考えることがありました。Mさんとは、ブログを通じて、中沢新一さんの『アースダイバー』の話題で盛り上がってきたのですが、Mさんは、中沢さんと杉本さんとのあいだには共通するものがあるというのです。とてもワクワクするご意見です。実際に、杉本さんの作品を拝見して、私自身もそのように考えました。そのことについては、後日、このBlogで考えてみたいと思います。

■ところで、この写真、森タワー52階の「東京シティビュー」から、偶然確認したものです(上の【下右】の写真と同じです)。青山墓地に隣接する、外苑西通に沿った地域です。まん丸です。まるで、古代ローマの円形劇場・コロシアムのようです。不思議ですね〜。このことをMさんにお伝えしたところ、早速、次のような情報を提供してくださいました。

【左】このコロシアム状に見える地域の地形を3Dで示したものです。中央に、丸い地形が見えますね。東京は、このような台地と低地(沖積層地帯)が入り組んだ独特の地形をもっています。だから、東京には坂が多いのです。

【下左】江戸時代、【下中】明治時代、【下右】現在。
■Mさんは、この独特の地形が、『江戸切絵図』や明治時代の地図にもきちんと確認できると、わざわざ情報を送ってくださったのです。Mさんありがとうございます。Mさんは以下のように説明してくださいました。
「
この円形の地形を見ることができます。これは周囲が低地で『田』として利用され、内部がやや高台で『家屋・屋敷用地』として利用されていたようです。『田』は原宿村と呼ばれ、『家屋・屋敷用地』は青山長者丸と呼ばれていたようです(現・青山墓地も含む)。そこから、真ん中に直線で伸びる道路は、現在でも長者丸通りと呼ばれています。外周の『田』は道路になっています。ここでも、『M現象』の一環か(^^; 『田』道路の外側に高層ビルが建設されたため、より一層コロシアムのように見えているようですね。」
■Mさんがご提供くださった資料とご説明により、この「謎の地域」のことを、よく理解できました。Mさん、いろいろお世話になりました。ありがとうございました。こうやって、丹念に資料と重ね合わせながら東京の街を観察し、原地形(という言葉があるのかどうか知りませんが)や、その上にどのように人の手が加わってきたのか、その歴史を明らかにしていくと、今、再開発がどんどん進んでいる東京の景観が、実は大変表層的なものであるとがわかります。さて、このこととも関係するのですが、皆さんは、Mさんの解説にある「M現象」とは、何のことだかわかりますか?(Mさんご自身の現象のことではありまんよ、もちろん)
■中沢新一さんの『アースダイバー』(115頁)のなかに、「Mの時代」というタイトルのついた記述があります(この『アースダイバー』の評価、極端に二分すると思いますが、その点については、ここでは触れません)。少し長いですが、引用してみましょう。
「
今日の東京の風景を一変させるほど影響力を発揮しているMといえば、それは森ビルのことにほかならない。不動産とビル経営の分野でこのMは、着々と都心部の地図を塗り替えている。森ビルの建っているところへ行くと、現在どこまで森ビルの活動を拡大しているかをしめす地図を見ることができる。それには森ビルの建てられている場所が緑で塗られている。森をあらわすその緑は、出発点だった新橋・虎ノ門からしだいに拡大して、アークヒルズをへて六本木から霞町に広がる広大な領域に、伸びていこうとしている。森ビルというこの新しい都市の『森』は、都心部に増殖をとげている。」
■中沢さんは、「この『森』の増殖には、一定の法則」があり、「巨大なビルが『生えている』場所は」、縄文時代に「海の侵入の跡をしめす沖積層であった地帯、のちの時代の地形では『谷地』であように地帯に集中している」と指摘します。そして次のように述べています。
「
いまアークヒルズビルの建っている場所には、かつて麻布谷町という『谷地』につくられた町があつた。ここは小さな家がごみごみと建ち並び、零細だが人間くさい生活文化が息づいていた。そこに巨大ビルをたてる計画が立てられ、土地の買い占めが進められていった。麻布谷町はゴーストタウンになったのである。土地の記憶は、削り取られてしまった。そしてそこにウルトラモダンなビルが建つ。東京の沖積層地帯の新しいタイプの開発が、ここ数年の都市部の風景を一変させてきたことに、多くの人はまだ気づいていない。」
■中沢さんは、この縄文時代から続く独特の地形が、「独特の意味作用を発揮して、東京をけっして均質な空間にはしないできた」と述べます。
「
海が奥深くまで入り込んでいた沖積層の跡には、急な坂と窪地の湿地帯が残り、あまりお金はないけれど豊かなアイディアだけはあるという雑多な人々が入り込んで、人間の世界をつくってきた。都市部は高台と谷間がリズムカルに交替していくことによって、都市空間が均質になってしまうのを防いでいた。その谷間がビルになってしまうことによって、東京はいまそ重要な魅力を失いはじめている。」
■この「Mの時代」を産み出しているのは、いうまでもなく森ビルの思想です。「森の思想」を端的にあらわしている本が、森タワー52階の「東京シティビュー」にある売店で販売されていました。『都市のチカラ 超高層化が生活を豊かにする』という本です。
(「2つの『森』の思想」、(その4)まで続きます)

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