
■大阪・難波の地下街にある近鉄(近畿日本鉄道)「難波駅」のプラットホーム。そこは夕方になると、“奈良府民”とも呼ばれる通勤・通学客で混み合うことになります。奈良市を中心として、高度経済成長期以降、奈良県北西部で住宅開発がおこなわれ、多くの人びとが、ベッドタウンから大阪へ通勤・通学するようになったからです(関東でいうところの“千葉都民”や“神奈川都民”と同じですね)。
■近鉄学園前駅は、そのようなベッドタウンにある中心的な駅のひとつです。もともと、このあたりは丘陵地帯でした。奈良市役所のホームページには、以下のように説明されています。
「学園前住宅地が位置する地域は電車開通(大正3年、1914年)以前は、松林の疎林が続いている起伏が小さい、緩やかな丘陵でした。昭和16年に帝塚山中学(旧制)が開校し、翌年に学園前駅が生徒の登下校の特定時間のみ停車する特別駅として開設されました。戦後昭和25年近鉄が駅を中心に学園前住宅地として宅地を造成したことを発端に、次々にブロック単位の大規模な宅地造成が日本住宅公団、地方公共団体、その他民間開発業者により行われたことにより、駅周辺だけであった住宅地が駅の北方・南方に拡がっていき、駅勢圏人口も急激に増加しました。」
○学園前の住宅開発経緯(奈良市役所のホームページ)→「
学園前について」、「
学園前開発の流れ」、「
住宅開発等の経緯」、「
近鉄学園前周辺のうつりかわり」
■その学園前駅のひとつ東に、菖蒲池(あやめいけ)駅があります。もちろん、学園前「駅勢圏」内にあるといってもよいと思います。上の写真は、今年の正月に撮影した菖蒲池駅です。

少し古ぼけた駅です。自動改札機が見えますが、その左側には、古い時代の改札が見えます。現在、自動改札機になっているところも含めると、かつては改札が7〜8つほどあったのでしょうか。駅前の横断歩道も幅が広いです。この駅に到着した電車から、一度にたくさんの人びと降りて、この改札口を通り、横断歩道を渡っていった様子を想像することができます。しかし、横断歩道を渡った先は、左の写真ようになっています。
■ここは、かつて「近鉄あやめ池遊園地」でした。少子化、大型のテーマパークの出現等が背景にあるのでしょうか、利用客数がさがり、2004年6月6日、78年の歴史に幕を閉じ閉園しました(そういえば、近鉄は球団も手放した…)。この「あやめ池遊園地」だけでなく、関西では「伏見桃山城キャッスルランド」(近鉄)、「甲子園阪神パーク」(阪神)、「宝塚ファミリーランド」(阪急)などの遊園地が閉園となっています。鉄道と、住宅開発・遊園地・デパート等を組み合わせた鉄道会社の経営戦略、それは戦前に始まり、高度経済成長期とともに一気に展開したわけですが、そのような経営戦略が、今、ひとつの大きな壁にぶつかっているともいえるのかもしれません(そのような鉄道会社の開発の歴史と、地域社会の変化を追っていくと、様々な発見があると思います)。
■Google Earth で、あやめ池遊園地の跡地を見てみましょう。近鉄は、この画像の一番南のほうに東西にはしっています。その中央が駅です。その北側に、敷地面積約30万uある遊園地がひろがっていました。現在のディズニーランドなどの大型のテーマパークと比較すると小さな遊園地ですが、菖蒲上池を中心に、ジェットコースター、メリーゴーランド(丸い跡にありました)、観覧車、スーパーフライング「風の神殿」といった遊戯施設だけでなく、動物園、プール(冬はスケート場)、自然博物館(とても小さかったけど)、
OSK日本歌劇団(2003年5月解散。
NewOSK日本歌劇団)の円形大劇場、団員を養成する日本歌劇学校などがありました(そういえば、化粧と服装からそれとわかる団員の皆さんや、制服姿の歌劇学校の生徒さんたちをよく見かけたなあ…)。
○「
絶叫REVIEW」というサイトのなかで紹介された、「あやめ池遊園地」→「
さよなら あやめ池遊園地part1」「
さよなら あやめ池遊園地part2」
■この菖蒲上池は、もともとは溜池でした。この菖蒲上池をはじめとして、奈良市の西部から隣接する京都府にかけての丘陵地帯には、大小様々の、実にたくさんの溜池があります(たとえば、
ここなどは個人的には注目している場所です。
ちょっと拡大してください。また、
サテライトでもご覧ください。どういう経緯でそうなったかは残ってしまったのかは別にして、このようの残された景観からは、この丘陵地帯のかつての環境利用の有り様を垣間見るような気がするのです)。きちんと調べたことがないのですが、このあたり丘陵は、もう少し東のほうにあった農村にとって、落葉や薪炭材のみならず(冒頭に引用した奈良市のHPに、「松林の疎林が続いている」という記述からも推測できます)、灌漑用水を確保するための里山であったようです。そのような溜池のひとつが、遊園地として開発されたわけですね。
こちらは、Google Map です。
ちょっと拡大してください。Google Earthの画像は、すでにすべての施設が撤去されたあとのものですが、地図のほうでは、まだジェットコースターや、園内を走っていた機関車のレールを確認することができますね。
■この閉園した「あやめ池遊園地」の跡地の利用については、いろいろ議論がありましたが、結果として、跡地には
近畿大学附属小学校・幼稚園が大阪市内から移転してくることになりました(そういえば、関西学院大学はやはり閉園した宝塚ファミリーランド跡に附属の小学校を開校しますね)。が、跡地全体については、奈良市が「あやめ池遊園地跡地利用検討会」(奈良市、地元住民、有識者、近鉄で構成)を設置し、議論がおこなわれています。ただし、この検討会が非公開であるということもあり、新聞報道によれば「
地元市民らが反発」とあります。たしかに、私も地元市民の1人なのですが、きちんと情報が流れてきません。
■ところで、今回この記事を書くにあたり、
Google Mapを見たわけですが、ちょっとした発見がありました。それは、「日本鉄道神社」です。遊園地には、何度も家族サービスで出かけましたが、神社があったとは知りませんでした。こうなると気になるのが、閉園後、こちらの神社がどうなったかです。
ネットでちょっと調べてみました。この鉄道神社は、近くにある近鉄と関係する美術館、「
大和文華館」の敷地内に移されたようです。ちょっと安心しました。そこには、次のように書かれています。
「ここには伊勢大神宮、熱田神宮、生国魂神社、春日大社、住吉大社など近鉄ゆかりの御分霊と
生駒トンネル工事の犠牲者などがお祀りされている」
こんど参拝してみようと思います。
【追記1】「京都府にかけての丘陵地帯には、大小様々の、実にたくさんの溜池があります」と書きました。せっかくですから、私が注目している場所、Google Earthの画像をあげておきます。関東でいうところの谷戸のような地形がよく見えます。どうして、このような地形が開発計画から外れたといいますか、この土地が残されたのか、知りたいですね〜。
【追記2】近鉄の「あやめ池遊園地」だけではありません。「
奈良ドリームランド」もこの夏に
閉園することが決まりました。いや〜、なんだか辛いですね。こういうのって。

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