
■この季節、関西でも、明石・阪神地域のオバチャンたち、特に神戸市垂水区近辺のオバチャンたちは、「いかなご」に燃えます。関西にお住まいの皆さんならば、あたりまえの光景ですね。この「いかなごの釘煮」に関しては、昨年もこの季節に、「
いかなごの釘煮」(2006/3/31)をエントリーしましたが、「いかなごって何?」という方もいらっしゃるでしょう。少しだけ説明しておくことにします。
■「いかなご」は、夏場から冬に入る頃まで、水温が15度以上になると浅瀬の砂地で夏眠します。冬眠ではありませんよ、夏眠です。暑さが嫌いなんですね。そして、冬(12月〜1月)になると、浅瀬の砂地に産卵をします。具体的には、淡路島の東西のエリアであったり、岡山県や神奈川県のほうの砂地だったりするんですが、そこで生まれた稚魚たちが、播磨灘や大阪湾で餌を求めて回遊するのです。プランクトンが発生する潮目に集まるのだそうです。この「いかなご」を獲る「いかなご漁」が、播磨灘や大阪湾で、2月末の解禁から4月末頃まで行なわれます。水揚げされた「いかなご」は、すぐに飛ぶように売れていきます。鮮魚店やスーパーの鮮魚売り場で、阪神地域や明石のオバチャンたちが買い求めるからです。朝から行列ができます。オバチャンたちも、必死です。
■なぜ、オバチャンたちは、「いかなご」を買い求めるのでしょうか。「いかなご」にダイエット効果があるからではありません。オバチャンたちは、行列をして買い求めた「いかなご」で「いかなごの釘煮」を作るのです。それも、1回だけではありません。何度も、何度も作るのです。そして、できあがったお手製の「いかなごの釘煮」を、せっせとタッパーに詰めて、結婚した子どもや1人暮らしをしている家族、遠い親戚や友人たちに、せっせと送りはじめるのです。明石・阪神地域からオバチャンたちの愛のこもった「いかなごの釘煮」が、全国に送られていくのです。「いかなごの釘煮」が送られると、オバチャンたちと送られた人たちとの間に、愛と信頼関係が賦活することになります。
■たとえば、オバチャンが嫁いだ娘のところに「いかなごの釘煮」を送ったとしましょう。孫が電話をしてきます。「おばあちゃん、今日ね、『いかなごの釘煮』が届いたよ、ありがとう。とっても美味しいよ、幼稚園のお弁当にも入れてもらうの」。娘に電話を変ります。「お母ちゃん、『いかなご』ありがとう。やっぱり、春先はお母ちゃんの『いかなごの釘煮』を食べんとね〜」。こんな電話がオバチャンのところにかかってくるだけで、オバチャンは、「ああ、よかったわ〜」と心の底から幸せになるのです。オバチャンたちにとって、このような電話は、孫や娘からの一種の大切なプレゼントであるに違いありません。

■春先、大いなる自然(海)から、「いかなご」という恵みが人間社会(明石・阪神地域)に贈られてきます。その「いかなご」は、オバチャンたちにより、オバチャンたちの愛を込める形で「いかなごの釘煮」に生まれ変わります。そして、親しい人たちに贈与されていくのです。ご近所ブロガーのあいだで『アースダイバー』の著者として有名な中沢新一さんですが、『愛と経済のロゴス』という本もお書きになっています。この『愛と経済のロゴス』の論理にしたがえば、この「いかなご」と「いかなごの釘煮」の一連の関係については、次のように解釈されるのかもしれません。『愛と経済のロゴス』のなかでは、純粋贈与という概念が提起されます。純粋贈与とは、簡単にいえば、「神」や「自然」がもたらす人間への恵みと考えてよいでしょう。この純粋贈与の持つ力が、人間社会の贈与と交錯するとき、贈与で結ばれた人々の魂は活性化していくのです。中沢さんであれば、「『たましい=霊力』の躍動をはらんだ純生産が生まれてくる」というはずです。
■中沢さんは、純粋贈与が、贈与ではなく、市場などに代表される交換価値と関係するとき、そこでは「資本の増殖」が起こると考えます。自然からの恵みは、単なる資源として置き換えられ、それらは商品となって市場で売られていくからです。貨幣を媒介とした交換しか存在しません。よって、贈与のときのような魂の活性化はおきません。むしろ、抑圧してしまいます。そこでは、愛も信頼関係も賦活されません。「資本の増殖」は、私たちの暮らしに物質的豊かさをもたらしはしますが、そこでは「『たましい=霊力』の躍動をはらんだ純生産が生まれてくる」可能性はありません。
■しかし、興味深いことに、このような純粋贈与と交換価値が交錯するときに、魂が活性化されるばあいがあるといいます。それは、クリスマスです。現在、私たちが当たり前とおもっているクリスマスの一連の慣行は、アメリカを中心とした商業資本主義によって第二次世界大戦後に生み出されたものですが、そこではプレゼントが交換されることによって、人びとの魂が活性化されていきます。ここでは、瞬間的にしろ、純生産と資本とが交錯しているのです。
■クリスマスと贈与に関するこのような考え方は、フランスの構造人類学者であるレヴィ・ストロースを出発点にしているものですが、それはともかくです。問題は、「いかなご」と「いかなごの釘煮」です。明石、阪神地域のオバチャンたちは、自分で海に漁にでかけるわけではありません。鮮魚店やスーパーで買い求めるわけです。関西のスーパーには、この季節、「いかなごの釘煮」を作るオバチャンたちのために、大きな鍋とタッパーを売る、臨時の販売所までできるところがあるそうです。また、郵便局の前や宅配便を取り扱う店の前では、「春の風物詩いかなごのくぎ煮はエクスパック・ゆうパックで」、「いかなごくぎ煮ペリカン便」と書いた幟が立ちます。
■そもそも、この「いかなごの釘煮」とは、1960年代に神戸市垂水漁協の組合長によって名付けられたもののようです。これだけポピュラーになったのも、1990年代に入ってかららしい。現在のクリスマスの一連の慣行が第二世界大戦後に当たり前になったように、「いかなごの釘煮」のばあいも、比較的最近のことなのです。オバチャンちは、「いかなごの釘煮」を結婚した子どもや1人暮らしをしている家族、遠い親戚や友人たちに、せっせと送るときに、クリスマスのように全国規模というわけにはいきませんし大変限定的ではありますが、純粋贈与と交換価値が交錯し、人びとの魂が活性化されている、とはいえないでしょうか。
■さて、我が家にも、つい最近、白いタッパーに入った「いかなごの釘煮」が宅配便で届きました。我が家に送ってきたオバチャンは、私の母親です。しかし、母はだいぶ目の具合が悪くなってきているので、父が母の指示のもとで「いかなごの釘煮」作っていると思います。母は目の具合は悪いのですが、口と頭だけは達者なのです。ということで、我が家のばあい、オバチャンは「父&母」ということになりますね。トップの写真は、「いかなごの釘煮の茶漬け」です。御飯の上に、「いかなごの釘煮」のせてほうじ茶をかけただけのものですが、大好物なんです。
【追記】ところで、今年は暖冬で、「いかなご」漁が不漁なのだそうです。オバチャンの「いかなご愛」のピンチです。

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