
■『Kai-Wai散策』のmasaさんとご一緒した大阪ダイブ、(その3)です。大阪ダイブ、初日の「上町台地編」、2日目の「淀川湿地編」に分けておこなわれましたが、今回は「上町台地編」です。「上町台地編」では、大阪城の横にある大阪歴史博物館からスタートして、おもに上町台地の西側を南下し、西成区に入るコースでした。詳しくは、masaさんの
エントリー「大阪ダイブマップ」と、そこに掲載された
地図をご覧ください。
■「上町台地編」前半のメインは、中央区の谷町6丁目にある空堀でした。『Kai-Wai散策』的にも、この空堀、かなり“濃い”エリアだと思います。空堀は大阪ダイブ「上町台地編」は前半部分のメインでしたが、このままこの空堀にダイブしっぱなし…になりそうな雰囲気さえありました。「先がありますからね、この空堀はこれぐらいにして、先にいきましょう…、ねっmasaさん」てな感じなのでありました。
(5月19日分に本文を追加し、【追記】も加えました。)
■masaさんは、続々と、大阪ダイブのさいに撮影された魅力的な作品を『Kai-Wai散策』で発表されています。すごいペースです。とても追いつけません。そこに、大阪在住の“ご近所ブロガー”である光代さんが、コメントされるものですから、ますます盛り上がっています。私も頑張ってアップしたいところなのですが、現在の状況からですと、とても追いつくことができません。ブログって、やはり同じテーマでシンクロしないと面白くありませんよね〜。というわけで、“時間稼ぎ”に別ブログ(『
大津まち歩記』)にアップした、「空堀」関連のエントリーを、“虫干し”って感じでリンク貼り付けておくことにします。
■トップの写真は、「
大阪・空堀の“要塞”町家」というエントリーです。本文コピペしておきます。
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【68-まち歩記:番外編は大阪・空堀】またまた、大津のまちを少し離れましょう。このまえ行ってきた大阪・空堀からのレポートです。こちらの町家、空堀によくある伝統的なスタイルです。壁面の緑のものは、仕上材として用いられた銅版です。昭和初期に普及したもので、防火のための工夫のようです。今は緑青で緑色ですが、もともとは銅色(あかがねいろ)だったのでしょうね。すると、もともとはピカピカだったのでしょうか。洋風の“ハイカラ”な雰囲気として受け止められたようです。屋根の下、軒のところは、「箱軒造り」と呼ばれる独特のデザインになっています。でも少し形が変です。こちらの町家、上からみると、変形の五角形になっています。普通たったら角のところに、もうひとつ壁があります。さらにこの角だけが2階建てで、両端は平屋です。この角だけが突出して感じられます。まるで、通りをチェックする要塞のようだ、と言ってしまうと大げさでしょうか。
さらに細かいところを見てみましょう。このいたるところに張られた看板が目につきます。電信柱のバス・トラック侵入禁止の交通標識、喫茶「Fix」の看板も、この町家を引き立てています!ぜんざいに、ゆず茶、そしてケーキセットと書いてあります。とっても小さいので、さらにわかりにくいのですが、さらにその下には「そばめし」と書いてあるような・・・。「そばめし」って、神戸発祥の「ソース焼きそば+焼き飯」ですよね。ほんまかいな。空堀でも食べれんの?!
その横、青地に白い文字で「谷町6丁目」のホウロウの町名表示がありますが、問題はその横です。こう書いてあります。「きいつけや!あんたのことやて、そのバック」。わっ、びっくり。ひったくり注意の看板です。いかにも、大阪っちゅう感じがしますな(と、こちらまでも大阪風&桂米朝風)。さらにその下、赤い消火器が5本、ズラリとならんでいます。う〜ん、もともとはどのような町家で、現在はどのように利用されているのでしょうね。2階の窓には、ちょっとボロボロになっていますがブラインドもついています。このあたりにも、ちょっと“ハイカラ”な雰囲気も感じます。
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【その他の空堀関連エントリー】

【左】「
上町台地と空堀」【中】「
空堀の魚政」【右】「
谷町調(TANIMATI−CHO)な階段」いずれも、2005年のエントリーです。撮影したカメラも一眼レフではありません。
【追記】
■『Kai-Wai散策』の「
谷町の長屋」で、
m-louisさんが、以下のようなコメントをされていました。
「こういう町屋の再利用って、その地域地域でのパイオニア的実行者は大概愛着や愛情も深くて、嫌な感じじゃないものを作ってくれてるような気がします(ご一緒してたときに wakkykenさんが話されてた中崎町も最初の頃はむしろそれがポツリポツリとある感じがかえってよかったんですよ)。それがだんだん広まり始めると、雑誌などが特集記事など出し始めて、目も当てられない状態になって行ってしまいます。まあ、この初期状況のイイ感じというのは、ブログというメディアの中においても似たようなところありますよね(^^;)」
■町家や町家による街並みは一種の歴史的環境です。町家の再利用とは、近年の「歴史的環境を活用しながら保全しくいく」という考え方と重なります。ただし、そこには問題がないわけではありません。さきほどのm-louisさんのコメントに対して、以下のように私自身もコメントさせていただきました。
「パイオニア的実行者というのは、やはり地域への眼差しが深いです。その地域がもっている魅力をきちんと再評価しようとしています。地元出身者であったり、地元との関わりも深いばあいも多い。そのばあい、町家の再利用は、地元の人たちにとって、ここに暮らすことの意味を考えなおすキッカケになるし、ある意味、元気を与えることにもなります。だけど、それがいったん外部から評価され、その外部の評価に引き寄せられるように新規参入したばあい、あるいは地元自身がその外部の眼差しに迎合したばあい、お手軽なコピー&ペーストのようなものが増えていきます。地元の人びとにとってどうかだとか、その地域の暮しにはあまり関心がない。自分自身の自己満足的なライフスタイルの維持か、外部からやってくる人たちがお金をどれだけ落としてくれるかってことにしか関心をもてなくなります。そうなると、地域からも浮かび上がったものになりがちです。また、コピー&ペーストが増えると、その地域全体が陳腐化して、最後には、消耗品のように使いすてられてしまうのです。難しい問題ですよね。町家の再利用に関して、いつも思うことです。町家を大切にするってことは、建物としての町家を大切にすること以上に、その地域に暮し続けることや、人間関係を大切にしていくこと、その関係に仲間入りをさせていただくことなのですが、現実には、そうはなっていません。」

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