
■知人から、在来品種のニンニクをわけていただきました。さっそく料理に使ってみましたが、ふだんスーパーマーケットで購入するニンニクとは違っています。包丁で切ると、なんといいますか、瑞々しいわけです。組織のなかかからジワッとエキスのようなものが湧き出してきます。味のほうも、いつも購入しているものに比べて「強い」「濃い」「辛い」という感じでしょうか。このニンニクに限らず野菜の在来種とそうでないものの違い、理屈としてよくわかっていませんでした(本当に、世の中、よくわかっていないことだらけで…)。
■野菜は、何からできるのか。当然、種です。現在、ほとんど農家は、その種を種苗会社から購入して野菜を栽培しています。問題はその種です。それらはF1と呼ばれる種なのだそうです。「F1」とは「Filial 1」、一代交配種(First Filial Hybrid)のことです。このF1、在来品種や固定種を対比してみるとその特徴がよくわかります。と、わかったようなことを書いていますが、私も今回ちょっと俄か勉強してみて、なるほど〜…なのです。比較的わかりなすくまとまっているサイトから引用してみます。
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【F1品種(一代交配種)First Filial Hybrid】
「日本語では一代雑種・ハイブリッド品種ともいう交配種のこと。「『異なる品種を交配させ雑種を作ると、親より優秀な子ができることを利用した育種方法』で人為的に交雑し、欲しい形質(高収量・味・耐虫・耐病性など)を強化した種のことで、遺伝子の組み換えとは違います。」
【在来品種・固定種】
「交配種に対して、人々が自然交配や何年にも渡り選抜淘汰して育種し遺伝的に安定した品種。自家採取で次の世代の種を取る事ができる、ある程度の遺伝的多様性が含まれます。在来種はその地で土着したもので広い意味では固定種に含まれます。」
(『
ピースシード』の「
農と種をめぐるキーワード」より)
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■F1品種の多くは、たくさん収穫できる、形や大きさが整っていて野菜の流通に都合がよい、成長が早い、いっせいに野菜ができて一度に収穫できる、そんな特徴をもっているようです。つまり、工場で工業製品をつくるように、F1は、市場原理にあわせて野菜を生産していくのに都合がよいわけです。戦後の農業の近代化とは、農業を工業化・市場化していくことにであり、農業が生産力主義の農業政策と農業関連のビジネスとのつながりのなかで、大型機械の導入(機械化)、農薬・化学肥料の使用(化学化)を推し進めることであった、ということがよく言われます。このF1品種も、そういった流れのなかで開発されてきたわけですね。
■ネットから引用した上の対比からもわかるように、F1品種からは種が取れません。次の年には、また種苗会社から種を購入しなくてはいけません。また、化学肥料と農薬を使わないと十分な収穫を得ることができません。農薬の使用と多肥多収が「種」の開発の前提になっています。しかし、そうなると土壌自体が劣化してしまう。長期的には土地が死んでいくわけですね。でも、従来の在来品種・固定種だと、市場や流通と深く結びついた現在の農業ではやっていけません。工場で規格化された製品をつくるように農産物をつくれるF1品種を使わざるを得ない、そして在来種・固定種の種取りをやっても儲からない、経営として成立しにくい(技術的に側面もありますが)、だから在来種・固定種の種取りをする人がいなくなる、在来種・固定種が絶滅していく…まあ、そんな「構造化されたシステム」が出来あがっているわけです。こうなると、ますます一部の企業の都合による「種の支配」が進んでしまうことになります。様々な新たな問題を生み出すことになります。遺伝的多様性という点からも問題でしょうね。

■このようなF1品種の話しがくると、すぐに「
緑の革命」のことを連想します。「緑の革命」により、「高収量品種の作物の導入や化学肥料の大量投入などにより穀物の生産性が向上し、大量増産を達成」されたわけですが、同時に様々な問題も引き起こしました。この緑の革命のもたらした問題については、「科学・技術とエコロジー研究財団」、「ナヴダーニャ」、「多様性のための多様な女性」等の社会運動を進める科学者であり環境活動家・エコフェミニストである
ヴァンダナ・シヴァさんの『
緑の革命とその暴力』に詳しく書かれています。ごく簡単にですが、この「緑の革命」のもたらした弊害について、wikipediaでも、以下のように説明しています。
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「緑の革命は確かに産業としての農業の大増産を達成したが、農業を化学肥料・化学農薬の工業製品の投入によって維持される性格に変貌させた。また東南アジアの稲作地帯では、多収量の短稈品種が導入されることでそれまで農村で様々な生活必需品の素材として重要であった稲藁が使用に適さなくなり、農民にプラスチックなどの石油化学製品の購入を強いることになり、また農地の改良によって水田が淡水魚などの繁殖地としての機能が劣化することで、おかず類の自給力をそぐことになったことが指摘されている。そのため結果として、生産者である農民の多くはかえって生活の貧困を強いられるようになったとも言われている。
緑の革命による生産は、高収穫の代わりに土壌から大量の栄養分が失われた。大量の地下水が使用されたため、表土塩害が発生した。 さらなる問題点は、大量供給に対応する需要を用意しなかったために、その農業生産物の市場価格が暴落し、資金繰りの悪化した農家は、農地を手放さざるを得ない結果を招いた。化学肥料や化学農薬の購入のために農地を担保に借金をする農家もいたのである。
また、それぞれの土地に古くから定着してきた栽培種が失われることにもなり、在来品種の保存も急務となった(遺伝資源の保全)。
一方、緑の革命の失敗を反省材料とし、自然農法の普及に努める人々が多く出ている。」(
wikipedia 「緑の革命」)
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■つまり、もともと、お金を使わずとも「農」に連関して生活に必要な様々な資源を生み出すシステムが、その地域なりに存在していた(それは、先進国からみて質的・量的に評価できるものではなくても)。にもかかわらず、高収量品種の導入は、そのようなシステムを崩壊させてしまった。結果として、農民を市場経済にしばりつけ、お金を使わなければ生きていけない仕組みが出来上がり、農民を貧困化させていくことになった。そればかりか、大変な環境破壊ももたらしてしまった、というわけです。ここには書かれていませんが、貧困や環境破壊とともに重要となってくるのは、環境文化の破壊といった問題でしょう。自然環境の持続的利用に関する民俗知識・技能・技術や、それらと関連する規範や制度といった狭い範囲のものから、ある種の倫理観や人生観といった抽象的な問題にいたるまでの広い範囲文化の破壊をもたらし、地域社会が自ら存続していくための条件を破壊してしまうのです。
■近年、シヴァさんは、2000年に「
Poverty & Globalisation 」(
日本語訳)という講演をおこない、インドのパンジャブ州で農民の自殺の背景に存在する「新しいハイブリッド種」の問題を分析・告発しています。また、2006年の5月には、「
MOVEMENT TO STOP THE GENOCIDE OF FARMERS」という声明も発表しています。1977年から4万人にものぼる農民の自殺は、ジェノサイド=大量殺戮だというのです。そして、そのジェノサイドは、WTOと世界銀行が強制し政府が計画的に実施した政策結果であるともいっています。そして、その政策は小農民を破壊され、インド農業を大規模な工業的な企業農業に変えようとしていると告発しています。
■さて、話し内容が、在来品種のニンニクから、F1品種へ、そしてグローバル化と第三世界の貧困の話しへと大きく変わってきたわけですが、大事なことは、最も根本的なところに存在している問題の構造は共通であるということです。このような問題に対しては、上のwikipediaの引用のなかにもありますが、世界の各地で、「在来品種の保存」を目指す運動が展開されているようです。ネットで調べてみると、
(有)ナチュラルシードネットワーク代表の石井吉彦さんの活動を知りました。有限会社組織によって、種子から取り組む生産物ネットワークの拡大に取り組んでおられます。もちろん、この他にも実にたくさんの活動が展開されていると思います。トップ写真のニンニクをくれた知人が、最近熱心にこのような問題に取り組んでいるようですので、そのうちに研究論文を読ませていただくことにしようと思います。

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