
■東京・羽田の町については、「大田区、羽田を歩く。」を連載中(?)です。で、羽田の町を歩くついでに…といっては何ですが、大森と蒲田のあたりもちょこっとだけ歩いてきました。トップの写真、1920年から1936年まで蒲田にあった松竹キネマ蒲田撮影所です。といっても、模型です。最初からきちんと種明しをしておきますと、大森の駅近くの本屋で地元の情報誌を探していて『東京生活』(2007年No.23)という雑誌を見つけました。「元気が出る蒲田・大森の魅力って!?」という特集です。オノボリさんですから、この手の雑誌をすぐに買ってしまいました。その特集の一番最初に、この模型の写真がドーンと出ていたのです。模型は、蒲田にある大田区民ホールアプリコの地下に展示されています。まあ、ちょっと雑誌の真似っこ…してみたというわけです。
■ところで、さきほどの『東京生活』(2007年No.23)の「映画の都、松竹キネマ蒲田撮影所 蒲田の発展 それはここからはじまった」という記事には、次のような記述がありました。もともと、静かで土地もあった農村地域に撮影所ができて、あとから工業地帯へと変貌していくこの地域の近代化の過程が垣間見える記述です。
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キネマの一時代の終焉がここに
しかし昭和6年、限りなく続くかに思えた隆盛に、暗雲がもたらされる。羽田に東京飛行場が建設されたことにより、東京〜大阪間の定期便や、東京市内遊覧の飛行機が蒲田上空を往来し、その騒音がトーキー製作の支障となりはじめたのだ。また、付近の新潟鉄工所や高砂香料工業、東洋カーボンなどの工場からの騒音も拍車をかける。
そして昭和11年1月15日、ついに撮影所が蒲田から大船へ移ることとなる。(中略)だが、撮影所の跡地を買収したのが、奇しくも移転要因の一つ、高砂香料工業というのも、一抹の寂しさを感じさせる…。
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■蒲田と大森のこと、もう少し事前に勉強していれば、歩いていてももう少し深いなにかを感じられたのでしょうが、目標は羽田にありましたから、事前にな〜んにも調べていません。この『東京生活』と、もう一冊買った『大田区Walker』だけが頼りです。しかし、さすがにタウン誌では細かな歴史的なことはわかりません。とはいえ、なかなか勉強になりますね〜(ただし、「馬込文士村」のこと、初めて知りました)。蒲田駅前にやたらある「ユザワヤ」のこと。蒲田が、餃子で有名なこと(やはり餃子で有名な宇都宮には行きましたが…)。大森に関していえば、海苔のことも、もう少し勉強しなくては!!、と思っています(民俗学的研究書は買ってあるのですが、積読状態です…)。かつての海苔生産の中心地であっものが衰退していく過程、それから、ハイテク産業を支えているという町工場が進出し、この地域がどんどん変貌していく過程、そのあたりの時代のことですね。

■ところで、大森といえば大森貝塚。『アースダイバー』だ、「アースダイビング」だ「ダイブ」だとはしゃいできましたので、やはりきちんと行っておかなくては…と、思って出かけたまではよかったのですが…、なんといいますか、いさささかガッカリ…とまあ、個人的には、個人のあくまで主観的判断では…だったんですね〜。まあ、こういうこともありますよね。
【上左】大森駅にある「日本考古学発祥の地」記念碑。エドワード・シルベスター・モース(Edward Sylverster Morse 1838〜1925)が発掘してから100年目の記念事業のようです。【上中】現在は公園になっている大森貝塚に置かれた記念碑。【上右】やはり公園内に設置されているエドワード・シルベスター・モースのブロンズ像。この公園の評価はどうなんだろう…。

■というわけで、大森の貝塚よりも蒲田の餃子です。いわゆる"羽"のついた餃子をいただきに、あるビルの地下の有名店へ。行って驚きました〜。雰囲気、これ中国です。「ちょっと以前の、中国の大都会ではない"中"都会の人気のある食堂」の雰囲気が濃厚に漂っているのです。特に中国通というわけではないのですが、この四半世紀のあいだに何度も行っていることもあり、なんとなくそういうふうに感じてしまうのです。これは、すばらしい!!こういう雰囲気、作ろうと思っても作れません。木製のテーブルと椅子、それからカバーも、いいですね〜。雰囲気出てます。もちろん、餃子のお味は、バッチリです。次回の太田区ダイブのときには、再度、この地下にもダイブします!!
【追記】
■昭和11年に大船に移動した撮影所ですが、2000年に閉鎖になっているのですね〜。その後、新木場に新しい撮影所を建設する予定だったようですが、まだ完成するにはいたっていないとのこと…、そうなんだ〜。映画産業も大変ですよね。あの『釣りバカ日誌』が、松竹の撮影所ではなくて、東映の東京撮影所で撮影されているということも知りませんでした。寅さん亡き後、いや〜たいへんなんですね。

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