
■木曜日は、夜8時まで講義があります。大学院の講義です。後期、最初の講義を終えて、帰宅しようと校舎の階段を降りていると、後から「わきたさ〜ん」と大きな声で追いかけてくる人が…。同僚の村澤真保呂さんです(「真保呂」と書いて、「まほろ」とお読みします。私よりも10歳近く若い研究者です)。「これ、読んでください」と、一冊の本を手渡されました。ガブリエル・タルドの『模倣の法則』です。村澤さんは、これまでも数多くの翻訳を手がけてこられましたが、この『模倣の法則』は、最新のものです。村澤さん、ありがとうございました。
■村澤さんは、フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースの思想から、ジャック・ラカンの精神分析理論へ、そして社会と精神疾患との関連に焦点をあてて研究されてきましたが、最近は、グローバル化にともなって急激に変動する現代社会と個人精神の関連に関心をむけて、具体的な領域と抽象的な領域、マクロな現象とミクロな現象に通底する、歴史的・社会的運動の論理を探ろう試みておられます(
村澤さんのHPにある「
研究テーマ」を参照してください)。なんだか、難しそうな感じがするかもしれませんが、今回のエントリーは、この村澤さんが翻訳されたタルドの『模倣の法則』です。
■これまでも、村澤さんからは、個人的に『模倣の法則』について、いろいろ教えていただきました。村澤さんも私も、同じ社会学を専攻しているわけではありますが、彼は、いわゆる理論系・思想系の社会学、それに対して私のばあいは、現場の調査にもとづく環境社会学、直接的な関心の対象はかなり違っているのですが、村澤さんの話される研究の内容には根底のところで自分のやっているところと通じるところがあるように思ってきました。特に、環境運動の問題等との関連…ですが、村澤さんとは、それ以外にもいろんなテーマでよく話しをよくしてきました。勤務先が社会学部ですから、同僚とはよく学問的なディスカッションをしていそうなものですが、実際は学内行政や事務的な仕事の打ち合わせや、会議等に時間をとられることが圧倒的に多いわけです。まあ、そんなボヤキは横においておいて、本題を続けましょう。
■社会学には、経済学のような教科書がありません。もちろん教科書はあるのですが、社会学という学問のもつ「あらゆる社会現象を対象に、そしてその社会現象が生じる原因や背景を解明する」という間口の広〜い(対象も方法も)特徴のためか、いわゆる「定番」と呼ばれるような教科書が生まれにくいのです(といいますか、個人的には、そのような特徴が社会学の魅力なんだよな〜と思うのですが、それは横においておいてです…)。しかし、そのような社会学でも、社会学の勉強を始めた人であれば、必ず読むことになる本があります。たとえば、エミール・デュルケム(Émile Durkheim、1858年4月15日〜1917年11月15日)というフランスの社会学者が書いた、特に『自殺論』なんて本は、いろんな教科書にも取り上げられる大変有名なものといえます。デュルケムは、社会学史のなかでは、現代社会学の基礎を築いた1人として位置づけれられているのです。教科書的にいえば、デュルケムとは「社会学の分析対象は『社会的事実』であることを明示し、社会学を独自の対象を持つ科学として確立しようとしてきた社会学者」ということになります。そのエミール・デュルケムが大変厳しく批判した相手、それが『模倣の法則』の著者ガブリエル・タルドなのです。
■ちょっと難しいことを書きますが、なぜデュルケムがタルドを厳しく批判したのか…。デュルケムは、社会学が対象とすべき「社会的事実」とは、個人の外部にあって個人の行動や考え方を拘束するもの(形づくるもの)、集団や社会全体のレベルで共有されたものと考えます。そのような考え方に立つデュルケムからすれば、タルドの社会学の考え方は、社会的なものを個人の内面に還元して説明しようとする心理学的社会学ということになります。で、結論からいえば、タルドの社会学やその発想は、デュルケムからの執拗な批判のなかで(中世の異端審問のごとく…)、現代社会学のなかからはいわば抹殺されてしまったのです(そのあたりのプロセスについては、村澤さんご本人からいろいろお聞きしているのですが、これが「おおっ…」って感じの話しなのです。「つまり、デュルケムがタルドを排斥することによって覇権を握った経緯それじたい、デュルケムの『社会学』とそれが依拠する『社会科学』、さらには『大学』の知そのものが孕んでいる権力との密接な関係を示してはいないだろうか?」(535頁))。ですから、普通に社会学の教育を受けてきた多くの人たちからすれば、タルドとは「『模倣』という概念で社会を心理学的に説明しようとした前世紀の社会学者」(模倣といっても、単なる真似っ子ってことではありません…)ということになります。ところが、村澤さんのお話しによれば、このタルドの社会学、近年、フランスの現代哲学(ドゥルーズ学派)により再評価されているというのです(いわゆるデュルケミアンと呼ばれる立場の社会学者からは容認できないことでしょうが…)。
■詳しくは、『模倣の法則』の本文ととともに、この本の最後に収められている村澤さんの「社会のみる夢、社会という夢、あとがきに代えて」(それから、共訳者の池田祥英さんの「解説 ガブリエル・タルドとその社会学」)をお読みいただきたいと思いますが、「グローバル化にともなって急激に変動する現代社会と個人精神の関連に関心をむけて、具体的な領域と抽象的な領域、マクロな現象とミクロな現象に通底する、歴史的・社会的運動の論理を探ろう」という村澤さんの問題意識をいろいろお聞きしてきたからでしょうか、タルド社会学と村澤さんとには大きく共振しあう部分があることが、すぐに理解できました。村澤さんは、タルドそのものの評価というよりも、タルドの発想や問題意識を現代社会の諸問題を考察するさいの「武器」として再評価し役立てようとされてるいのでしょう(詳しくは、村澤さんのブログ『
ロゼッタの道』の
このエントリーをお読みたください)。『模倣の法則』、よくある難解な翻訳ではなく、私のような門外漢でも読みやすいように工夫されています。このブログをご覧になっている社会学関係の皆様、どうぞ手にとってお読みいただければと思います。ちなみに、京都駅前にあるアバンティ6階の書店(京都で一番大きい)の社会学のコーナーでは、この『模倣の法則』、平積みになっていました。ちなみに、その横の平積みも村澤さんが翻訳に参加された『排除型社会』(ジョック・ヤング著)でした。いや〜、注目されていますね村澤さん!!そのうちに、店員さんのポップが立たないかな(本日のエントリー、通常のこのブログとは少しノリが違っていますが、たまには…です)。
【追記1】■村澤真保呂さんについては、以前、
こんなエントリーもあります。
【追記2】■『模倣の法則』関連のエントリーです。知人の
熊本大学の佐藤哲彦さんのブログにも
「タルド『模倣の法則』」としてエントリーされていました。佐藤君も、ブログしてたんや〜。

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