「宮沢賢治の銀河世界―ほんとうのさいわいをさがしに―」
アート/建築

■龍谷大学の「人間・科学・宗教・オープン・リサーチ・センター」では、第10回研究展示「宮沢賢治の銀河世界―ほんとうのさいわいをさがしに―」が開催されています。開催期間は、第1期が2007年11月20日(火)〜12月21日(金)まで、第2期が2008年1月8日(火)〜2月7日(木)となっています(基本的には土日祝は休館ですが、2月2日(土)2月3日(日)は開館します)。また開館時間は、午前10時〜午後4時です。
■この「宮沢賢治の銀河世界」を開催するにあたり、人間・科学・宗教 オープン・リサーチ・センターのセンター長である鍋島直樹さんは、次のようにお書きになっています(
「全文」はこちらです。)
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「みんなむかしからのきょうだいなのだからけっしてひとりをいのってはいけない。」(『春と修羅』「青森挽歌」)
「自我の意識は個人から集団、社会、宇宙へと次第に進化する。この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか。新たな時代は世界が一の意識になり、生物となる方向にある。正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して、これに応じていくことである。」(『農民芸術概論綱要』)
ふりかえってみると、私たちの世界ははたして一つの意識になっているでしょうか。私たち人間は、銀河系のなかにすむ兄弟として助け合っているでしょうか。戦争やテロ、虐待や自殺の連鎖は、人々が相互に理解できずに、それぞれの闇の中で行き詰まっていることを示しています。いつの時代にも大切なのは、あらゆるものが相互に支えあうことであり、ほんとうの幸せを願う慈愛です。宮沢賢治が示すように、人間と動植物、さらには宇宙との一体感は、あらゆるいのちへの感謝と慈しみを生みだしていくことでしょう。
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■『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』などの宮澤賢治(以下、宮「澤」)の作品のなかに現れる仏教的な人間観・死生観を通して、かけがえのない「いのち」について考えてみることが、この研究展示の目的です。賢治にまつわる総計90点もの展示が行われているようです。図録も、かなり豪華なようですね。研究論文や解説もふんだんに掲載されています。この図録については、
pdfファイルで読むことができます。
■鍋島さんは、上の文章で『春と修羅』と『農民芸術概論綱要』を引用されています。この引用を読んで、「仏教的な人間観・死生観を通して、かけがえのない『いのち』について考えてみる」という今回の研究展示の目的を知ったとき、多くの皆さんが連想するのは、『春と修羅』第1集の「序」ではないでしょうか。
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わたくしという現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失われ)
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■手元にある『新 宮澤賢治語彙辞典』で調べてみました。この辞典の「電灯」の項目には、次のように解説してあります。賢治が暮らした岩手県花巻市に電灯がつくのは、1912年(大正元年)です。賢治は1896年生まれですから、16歳のときのことになりますね。科学に関心があった賢治が、電機や電灯にも関心をもっていたことはよくわかります。
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電力・伝統の普及は産業の発展ばかりか個人の生活意識にも革命的な影響を与えた。(中略)人一倍、いい意味での新しがり屋と言ってよい賢治にとって、この電灯が重要語彙になってくるゆえんである。彼の視野における外界自然の闇と明るさ(お日さま、月、星等の光線)のコントラストなしには彼の文学は考えられないが、同じように内面的にも始終闇や暗部が向かい合っている彼には、電灯の出現はその暗部を照らし出す機縁としてばかりか、闇の意識そのもののとらえ方にまで深甚微妙の影響を及ぼしていると言えよう。
(中略)
「わたくし」という実存的現象は、せわしく明滅しつつともりつづける「電灯の照明」なのである。そして、あらゆるすぐれた精神や行為を吸収し、「因果」の現象を一身の中に具現する「有機」体でもある。「交流」とは交流電灯が五○分の一秒、六○分の一秒の速さで点滅を繰り返しているように、生命体も消滅(原因と結果)を繰り返していることを表す象徴的表現で、紀野一義によれば仏法では「刹那生滅」をも意味するという。
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■よく知られるように、賢治は、「わたくし」という自我が、確かなものとして存在している(たとえば、デカルトの「我思う、故に我有り」のように…)とは考えませんでした。「いかにもたしかにともりつづける」わけですが、じつは確かな実体をもたずに、「他者」との関係、言い換えれば交流=コミュニケーションのなかで浮かび上がってくるものでしかないわけです。電灯というモノではなくて、照明といっているところにも注目する必要があるでしょう。「あらゆる透明な幽霊の複合体」、なにやら難しい表現です。「風景やみんなといつしょに」という部分と関係しているようです。「風景やみんなといつしょに」ということは、時間的には過去の歴史のなかに存在する「他者」との関係のことですね。この「他者」って、言い換えればといいますか、究極的に「死者」のことですね、きっと。「死者」との交流=コミュニケーションのなかで、揺れ動き、矛盾をはらみながら、「わたし」が「複合体」として現象するわけです(存在するのではない)。
■であるがゆえに、宮澤賢治は、「春と修羅」で、「複合体」として現象する自らを、「いかりのにがさまた青き 四月の気層のひかりの底を 唾し はぎしりゆききする おれはひとりの修羅なのだ」と書きました。このような賢治の存在が、よくある平板で予定調和的な賢治像を超えて、研究展示「宮沢賢治の銀河世界―ほんとうのさいわいをさがしに―」ではどのように説明されているのか、気になるところです。展示では、賢治が法華教に入信する契機となったといわれている『漢和対照妙法法華経』(島地大等編)が展示されているとのことです(龍谷大学が所蔵しているものですが)。このあたりも、楽しみにしています。
【追記】岩手に住んでいるときに、人並みに宮澤賢治に関する本を読みましたが、賢治には、本当に、通常の人の目に見えないものがリアルに感じられたようです。森荘已池という賢治と親交のあった岩手の作家の文章を読んだときにそのことを知りました(ちなみに、森荘已池(明治40年5月3日〜平成11年3月13日)は、昭和18年に直木賞を受賞し、昭和15年には芥川賞候補にもなっています)。

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