「中国の町角から(その09)-中国で原風景を幻視する-」
海外は中国

■先月のことになります。3月13日に卒業式があり、その2日後の3月15日から25日まで中国・浙江省・寧波市に出張してきました。「
文部科学省科学研究費補助金 特定領域研究『東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成 ―寧波を焦点とする学際的創生―』(研究代表者:小島毅・東京大学大学院人文社会系研究科助教授)」(ニンプロ)の「
東アジアにおける死と生の景観」班の一員として、寧波市域で調査をおこなってきました。
■現在、中国では「和諧社会(わかいしゃかい)」という言葉をあちこちで目にします。これは、改革開放政策のもと社会主義市場経済を突き進む中国社会に生じている深刻な階層間の格差や、地域間格差の拡大(そして環境破壊)を是正し、階層間で調和の取れた社会を目指そうという(環境と調和した社会も)、中国共産党の掲げるスローガンです。現在の私たちの日本の社会も格差社会といわれますが、ちょっとスケール(?)が違います(もちろん、単純には比較できないのですが…)。
■寧波市の中心部では、再開発が進んでいます。老朽化した労働者のための住宅が再開発の対象になり、そこには、超高層のマンションがどんどん建設されています。ものすごいスピードです。そして、日本でいえば億ションにあたるマンションが建設され、そして飛ぶように売れているというのです。しかし、かつてその土地に住んでいた人びとの多くは、そこから立ち退かされることになります。もちろん、再開発にあたって補償はあるのですが、けして十分なものではありません。というのも、中国の土地は国有であり、人びとに所有権がないからです(権利が弱い…)。これまで、行政組織の末端で地域住民の意見が十分に反映されないまま再開発が決定され、人びとが立ち退きを迫られるようなことがあちこちでおこってきました(もちろん寧波市だけのことではありません)。
■そのような開発の波は、都市中心部の再開発だけではありません。都市周辺の農村部にも押し寄せています。日本では、高度経済成長期のころ、人口の集中により都市が膨張し、十分なインフラの整備がないまま、都市周辺の農村部でスプロール的な住宅開発が行われました。ちょうどそれと似た現象が、現代の中国の都市(寧波市)周辺の農村部でもおきています。トップの写真は、そのような住宅建設がおこなわれたかつての農村地域の写真です。2階建ての長屋がみえますね。2000年以降に建設されたものです。住んでいる人びとの多くは労働者(ブルーカラー層)であり、それも寧波市のある浙江省ではなく、経済的な発展から遅れている省からやってきた人びとです。このような即席の住宅が農地をつぶして造成した土地に、建設されていったのです。
■さて、写真の前のほうには、黒い建物がポツンと残っていますね。これは、もともとこの農村に住んでいたある一族が、自分たち一族の者の葬儀を行うために使っていた建物とのことです。まわりは瓦礫だらけになっています。この村の委員会が再開発を決定したために、それまでここにあった農家は立ち退きをさせられたのです。ここには、大型のマンション(ホワイトカラー層向け)が建設されることになったです。そのような住宅を建設することによる利益は、村の委員会のもになります。少し聞き取りをしましたが、黒い葬儀用の建物は、補償をめぐる交渉がうまくいかず、まだ解体されずに残っているのだそうです。正確な金額はわかりませんが、立ち退きを免れた農家の皆さんによれば、補償はけして十分なものではなかったといいます。大きな住宅が建設されて、知らない人びとが移りすんでくることに対しても、良い気持ちをお持ちでないようです。これまであったコミュニティが、いわば破壊されるわけですから、そのような気持ちは当然でしょうか。複数の皆さんにお話しをうかがいましたが、このような再開発を歓迎する声は聞かれませんでした。

■トップの写真では一人の女性が歩いています。手に、赤い魔法瓶をもっています(懐かしい言葉ですね〜)。なぜ魔法瓶かといいますと、この再開発の予定地に給湯施設があるからです。給湯施設というと大袈裟ですね。湯沸かしの釜を設置したバラックが建てられているのです。正確な金額は忘れましたが、大変安い価格でお湯を売って商売にしている人がいるのです。建物を解体すると出てくる廃材は燃料にもなりますしね。通訳をしてくれた大学院生のS君は、「だって先生、自分の家でお湯をわかすよりも、こっちのほうがずっと安いんだよ」と、さも当然といわんばかりに説明してくれました。地方の町や農村にいったとき、こういう「お湯屋さん」これまでにも見たことがありますが、瓦礫だらけの土地に即席で建てられたものは見たことがありませんでした。

■農地が潰され、住宅が建設される。当然のことながら、そこに住む人たちを対象にした市場も建設されることになります。この写真は、そのような市場のなかの鶏肉屋さんです。肉、魚、穀物、野菜、漬物、果物、菓子…生活に必要な食材は何でも売っていました。なんだか懐かしい気持ちになりました。昔あった公設市場ってこんな雰囲気じゃなかったかな…。ところで、鶏肉とならんで売られている黒い鳥、これは烏骨鶏です。おいしいスープのとれる鳥です。こういうのを見たくない…という方もいらっしゃるでしょうね。ごめんなさい。でも、個人的なことをいえば、私は、こういった「アジアの市場」を訪れると、猛烈に食欲がわいてくるのです。

■市場の外に出ました。少し歩くと、こんな土地が広がっていました。農地を残土や瓦礫そして粗大ゴミのようなもので埋めた土地です。これからおそらくは大型のマンションが建設されるのでしょう。すでに少し離れたところには、すでに、そのようなマンション群が建設されています。この風景をみたとき、私は猛烈なデジャビュの感覚に襲われました。幻を視ているようだ…というと大袈裟かな。でも、昭和40年頃、子どものときに暮らしていた工業都市の郊外の風景にとても似ているのです。私も、この写真に写っている子どもたちのように、このような瓦礫やゴミのまじる荒地で遊んでいたからです。降った雨がたまってできた池にアメリカザリガニが湧き(?)、それを捕まえて遊んだりもしました。ああ、なんだか自分の原風景を見てしまったような気持ちです。通訳をしてくれたS君が、写真にうつっている子どもたちに聞き取りをしました。やはり、経済的な豊かさを求めて内陸の省からやってきた家族の子どもでした。「今年の正月は、田舎に帰っていないんだよ。この前帰ったのは、2年前かな・・・」なんてことを、ちょっとはにかみながら話してしてくれたのでした。
【追記】■3ヶ月ぶりのエントリーになりました。ながらくご無沙汰しておりました。ここしばらくのことについては、一つ前のエントリー「八郎潟」の「
続きを読む」に書かせていただきました。

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