■鹿児島に旅行をして、巨木「
モイドン」を見学したことから始まったこの「都市の巨木」も(その3)になりました。伊藤廣之さんの論文「「まちの景観―大阪の都市開発と巨木」(『景観の創造―民俗学からのアプローチ (講座 人間と環境))をガイドブックに<大阪の街をさらに北上することにしましょう。「都市の巨木」については、(
その1)の冒頭をお読みいただければと思います。
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■大阪の天満橋は、大阪環状線でいえば、大阪駅のひとつ手前の駅になります。キタと呼ばれる大阪の繁華街・梅田のすぐそばにあり、上町台地と同様、マンションの開発も進んでいますが、昔なつかしい町並みがまだまだ残っています。写真は、大阪北区の中崎のあたりです。いいですね〜、このなつかしい雰囲気。ところで、このような古い住宅が密集する町並みのどこに樹が祀られているのでしょうか。「どこなんだろう?」と歩いていると、ある路地(ろーじ)の入口で、「白龍大神入口」と書いた板の看板が1軒の民家の壁にぶらさがっているのを発見しました。この看板がなければ、わかりませんでした。推測するに、このような看板があるのは、この地域以外の人びとが多数お参りにやってくるからでしょうか。どうも、この路地の奥に、その「白龍大神」さんが祀られているようです。たしかに、ありました、いや、「いらっしゃいました」。巨木というには少し小さ目ですが、たしかに樹と祠があります。かなり民家が密集したなかにあります。ここは、もともと民家のお庭でした。ご近所の皆さんは、「お稲荷さん」とよんでいるようです。
■伊東さんの論文を参考に、巨木を訪ねて大阪の街を歩いてきました。残暑が厳しいので、少し疲れました。しかし、論文を読むだけではなく、そこに書かれている所を実際に訪ねてみると、論文を読んだだけでは実感できないことがたくさんあります。今回も、残暑のなか、あえて半日時間を作って、大阪の街を歩いてきましたが、たいへん満足しました。ところで、民俗学者である伊藤さんは、このような都市の巨木を調査することで、どのような結論に達したのでしょうか。
■伊藤さんは、論文(伊藤,1999:33)のなかで次のように述べておられます。
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ところで、巨木の伐採を忌避させるおもな要因とみられるミイサンとは何であろうか。大阪ではミイサンとは蛇のことをさす。とくに白蛇や大蛇をいう。それはたんに小動物としての蛇の一種をさすのではなく、神聖な生きものとしての意味がこめられている。したがって、ある巨木にミイサンの伝承が付与されたり、ミイサンを祀る祠が設けられたりするのは、人間の側がその巨木にたいして神聖なものを感じていることを表しているのである。このようにみてくると、ミイサンとは巨木の神聖性を示すため、人間がつくりだした宗教的なシンボルであるといえる。言葉をかえていうと、ミイサンには、そうした巨木の神聖性を示すため、人間がつくりだした宗教的なシンボルとしての役割が与えられているのである。
ある巨木にたいして、ミイサンという宗教的シンボルが付与されることにより、その巨木は他の樹木からは一線を画した神聖な樹木として位置づけられる。その結果、巨木と人間とのあいだに、民俗信仰を媒介とした新たな関係が生みだされ、それがさらには巨木を介して、人間と人間とのあいだにも交流を形成していくことになる。このようにして、道端や道路の真ん中に残された巨木は、稲荷や地蔵と同様に民俗信仰の対象のひとつとして、人びとの暮らしのなかに根づき、生き残っているのである。
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■少し長い引用になってしまいました。この引用中の
下線のところ注意してください。伊藤さんは民俗学者ですが、環境社会学の「コモンズ論」のなかで議論されていることと、ほぼ同様のことを、この都市の巨木の調査を通して指摘されています。すなわち、「自然環境と人間」の関係と、「自然環境を媒介とした人間と人間」の関係、そしてこれら2つの関係の連関性についてです。
■伊藤さんは、また次のような指摘されています。
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ではなぜ、人びとの心意のなかに、巨木を神聖視し、畏怖する気持ちが生れたのか。街路樹は都市を緑化するため、おもには行政によって植えられ、管理されてきた。つねに人間の手が加わってきた樹木であった。これにたいして街角の巨木は人間の管理の外にあり、道端や境内、住宅の庭などで大きく成長し、その枝振りや全体の姿などに生命力があふれ、街路樹には見られない威風を漂わせていた。人びとはそうした巨木に、人間の力を超えた自然性を感じとり、それをミイサンという宗教的シンボルを付与することによって、表現してきたのではなかうか。
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■都市の巨木のなかに、宗教的シンボルを付与することで、人々は民俗信仰を媒介に、巨木に対する価値を共有し、それを祀るための様々な労役や費用といった負担を分担しあい、その結果として都市の巨木は残ってきた、そのように考えることができるでしょう。ここには、すでに述べた「自然環境と人間」の関係と、「自然環境を媒介とした人間と人間」の関係、そしてこれら2つの関係の連関を見出すことができるのです。それらの連関は、結果として、樹を伐採させない「抑止力」を生み出してきたのではないでしょうか。

■この2枚のデジカメ写真は、盛岡市内で撮影したものです。ひとつめは、盛岡市内の個人住宅の敷地内にある栗の巨木です。栗の樹もこんなに大きくなるのですね。写真ではよく見えませんが、注連縄が巻かれ、樹の横には祠があります。どのような伝承があるのか、時間がなくお話しをお聞きすることはできませんでしたが、大切に祀られているようです。ふたつめは、同じく、盛岡市内で操業されている「あさ開酒造」さんの敷地内にある稲荷です。背後の大きな樹はイチョウです。この酒造会社の御神木になっています(以上の2つの巨木については、盛岡在住時にお世話になった「街の古老Mさん」にご教示いただきました。ありがとうございました)。
■ところで、この御神木の横には説明板があります。そこには、次のように書かれています。
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今から三十年前、工場改修工事のために神社を現在の場所にお移しをし、近くの銀杏の木をご神木と定め移植したところ、それまでなかなか成長しなかった樹が、みるみる大きく成長いたしました。この樹が現在のご神木でございます。
一方、以前ご神木として神社のそばにあった元気のよい柿の木は、その後不思議なことに枯れてしまいました。本当に霊験あらたかという不思議なこでござまいます。
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■いかがでしょうか。この盛岡のご神木のばあい、道路のような公共的な土地の上にあるわけではありません。個人や企業の私有地のなかにあるわけです。その点で、伊藤さんが調査した樹と違っています。そのため、「自然環境を媒介とした人間と人間」の関係が、明確にはみえてきません。しかし、明確には存在しないまでも、その樹がある土地の所有者に信仰心が持続する限り、その樹は伐採されることはないはずです。これらの樹には、あきらかに神の存在と、人々が神聖視していることを確認することができます。そこには、「自然環境と人間」の関係が存在しています。ここでいう自然環境とは、人間の力では左右できない、いわば人間を思惑を超越した存在です。別の言い方をすれば、神という自分たち人間とは別の「主体」を樹のなかにみいだしているのです。そのことを、柳田國男の民俗学理論を検討した環境社会学者であり民俗学者でもある鳥越皓之さんは、「礼節」という言葉で表現しています。「礼節をもって接している限り、自然はそれに応えてくれるということを常民は経験的に、あるいは伝承として知っており、それを柳田がすくいとったということになる」。このように鳥越さんは説明します。
■都市の巨木と民俗信仰とは関係しませんが、右の写真、盛岡市にお住まいの皆さんであれば、良くご存知のことでしょう。県民会館の横にあるイチョウの樹です。このイチョウについて、さきほどご紹介した街の古老Mさんと同じくお世話になったモリオカンさんから、次のようなご説明をいただきました。モリオカンさん、ありがとうございました。
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中央病院が移転するとなって、細かった前の道路を整備することになりました。今の川寄りの1車線と歩道を合わせても足りないほどの幅員だったはずです。当然、イチョウの木を含めて伐採し、更地になる計画だったようです。
計画が着々と進む中、1通の投書が市役所にありました。患者さんからのイチョウを残してほしいという嘆願でありました。これを受け市役所職員の故佐藤優さんが、これは残さなければならんと素早く動き、自然環境及び歴史的環境保全条例に基づく保存樹木に指定して残そうと、審議会に市長が諮問するまでを取り付け、めでたく保存樹木となり残されたのでありました。
(佐藤優さんとは、かつて工藤巌市長のもとで盛岡市の景観・まちづくり行政を主導した市役所の職員の方です。)
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■さて、モリオカンさんのご説明を、私なりに理解してみたいと思います。中央病院に通院したり入院している患者さんたちは、おそらく大きく繁るイチョウの樹の生命力に癒され励まされたのでしょう。そこには、民間信仰とはまた異なる「自然環境と人間」の関係を見出すことができます。患者さんたちは、「モノ」としての樹ではなく、自分たちを癒し励ます「主体」としてイチョウをとらえています。ここには、樹と患者さんたちのあいだに、濃密な関係が存在しています。ただし、道路の拡幅に対して、個々人が関係を維持しているだけでは、社会的な力になかなかなりません。患者さんたちは、このイチョウに癒され励まされているということを、そして、そのような意味でイチョウの持っている社会的意味を相互に確認し、協力しあいながら嘆願という形で行政に対して具体的な働きかけをしました。すなわち、ここには「自然環境を媒介とした人間と人間」の関係を見出すことができるのです。市役所職員である佐藤さんは、このような患者さんたちからの働き掛けを重要なものだと判断し、道路行政部局によって、まさに伐採されるぎりぎりのところで、「指定保存樹木」制度を使い、制度的にイチョウの保存を可能にしたのです。
■「自然環境と人間」の関係と、「自然環境を媒介とした人間と人間」の関係の存在、それら2つの関係が相互に連関することによって患者の皆さんの“おもい”が社会的な力となり、それを行政が制度を活用してサポートした。ここには、樹木の保存をめぐる市民の動きと、それを支える行政の動き、その両者の連携をみることができます。ある意味で理想的なものです。制度だけがあってもだめなのです。市民によって、すでに述べてきた2つの関係が持続的維持されていることこそが、本来的な意味で、都市の巨木を伐採させない「抑止力」になっているのではないのか、そのように思うわけです。そして、このような2つの関係が希薄化したり、関係が切れてしまったときに、都市の樹木の存在やその存在の意味を無視した「開発」の波がさっと入り込こんでくると思うのです。
(「都市の巨木」終わり、
その1はこちら、
その2はこちら)
【参考文献】伊藤廣之,1999,「まちの景観」『講座人間と環境4 景観の創造 民俗学からのアプローチ』(鳥越皓之編),昭和堂.
鳥越皓之,1994,「柳田民俗学における環境」『試みとしての環境民俗学』,雄山閣.

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