■10月8日と9日、大津市の中心市街地では、大津祭が開催されました。私が担当している社会調査実習という授業では、昨年から、この「大津祭」の調査を行なっています。
大津祭には、全部で13基の曳山が現存しています。そのうち、昨年は、
西行桜狸山、
神功皇后山、
湯立山の3基で聞取り調査を行い、今年は、
龍門滝山、
殺生石山、
源氏山、
月宮殿山の4基の聞取り調査を行なっています。残りは、6基、その他の重要事項も含めて、まだ数年調査を続けていく予定になっています。気の長い社会調査実習になります。
■大津祭は、江戸の初期に始まり、およそ400年近くの伝統をもつ近江の代表的な祭のひとつです。9日の本祭では、町家の残る中心市街地で巡行が行なわれたのですが、トップの写真は、ちょうどお昼の休憩時間に、大通りに13基がずらりと並んでいるところを撮ったものです。絢爛豪華な曳山を、雲ひとつない青空が引立ているかのようです。しかし、このような伝統的な祭を現代社会で保存継承していくためには、様々な課題があります。
■かつては、豪商の経済力を背景にそれぞれの曳山はつくられました。現在でも、祭を運営する町衆のなかには、商売をされている方がいらっしゃいますが、江戸時代のような豪商…というわけではありません。また、多くの方たちはサラリーマンです。曳山の維持管理には、多額の費用が必要となります。財源をどのように確保するのか…、これはとても大きな課題です。それだけではありません。中心市街地では、少子高齢化が進んでいます(同じ地域でも、13基ごとに少子化高齢化の状態に差異があります)。少子高齢化が進むと、担い手の問題が浮上してきます。かつては、曳山を所有する町内に居住する人たちが祭を支え、同時に運営していました。しかし、近年では、運営にあたる方たちも、必ずしも町内にお住まい…というわけではありません。また、お囃子では子どもが鉦を叩きますが、鉦を叩く子どもをどのように確保するのか、これも重要な課題です(曳山ごとに、やはり差異があります)。さらに、別の課題も存在します。大津祭はこの地域にある天孫神社の祭礼であり、氏子である地域の皆さんの祭であるわけですが、市や県からは補助金が出ています。そのため、他の地域や観光客の皆さんにも開かれた祭にしていく必要があります。神事である本質を失わずに、同時に、多くの皆さんに親しまれる「開かれた」祭にしていく必要があります。巡行には交通規制を伴うことから、警察、バス・鉄道等の公共交通機関といった祭の外部との調整が必要になります。祭の「内部」の論理と、祭りの「外部」の論理が葛藤することもあります。このようなことも、重要です。
■大津祭の関係者の皆さんは、しばしば「伝統を守っていくためには、変わらねばならない」とおっしゃいます。ここにあげたことは、大津祭が抱える課題のごく一部にしかすぎませんが(その他にも、祭と景観、ボランティア…、様々な課題が存在します)、私たちの社会調査実習では、このような大津祭が抱える諸課題に対して、曳山の関係者がどのようにお考えになり、対応しようとされているのか、「組織」、「担い手」、「財源」等の点から聞取り調査を行なっているのです。
■またまた、「字ばっかり」「長い」とお叱りを受けるような文になってしまいました…。当日の様子を短い説明だけで、ご紹介しておきます。
■各曳山には、「曳山責任者」と呼ばれる方がおられます。この方もそうです(聞取り調査でお話しを伺いました)。多大な課題を背負いながらも、伝統を継承しようとする方たちの責任と誇りのようなものを、この写真を撮る瞬間に感じました。
■大津祭では、天孫神社の鳥居前で曳山を止め、境内でくじ改めが行われます(事前に決定した順番通りになっているか)。そして、曳山の上でからくりが奉納された後、午前中の巡行が始まります。そのため、午前中は、お囃子の皆さんは黒紋付を着ておられます。しかし、午後らは、粋な着流しを着ての巡行になります。午前中は厳か、午後は華やかな雰囲気になります。この子どもたちは、昼休みの休憩のあと、着流しを着て自分の曳山に戻っていくところです。いいですね〜。こうやって伝統が継承されていくんですね。手にもった紙袋のなかには、厄よけ粽が入っています。巡行のさいに、曳山の上から撒かれます。これは、すべて自腹です。観光客のなかには、もっと撒いてほしいとお思いの方たちもおられるようですが、じつは、なかなか大変なことなのです。
■大津祭の魅力は「近さ」にあります。町家が残る街中の狭い道を、曳山は通過していきます。必然的に「近さ」が生まれます。遠くから「鑑賞」するのではなく、近くで曳山と観客が一体化します。ここに大津祭の醍醐味があるように思います。
■2階の窓を外し、そこに緋色の毛氈をかけて、通過する曳山を楽しむ…そんなお宅もたくさんあります。私も、あるお宅の2階にあげていただきました。下から見上げる曳山もよいですが、こうやって2階からながめることも、なかなか楽しいものです。このような町家は、まだ大津の中心市街地に多数残っています。しかし、櫛の歯が抜け落ちるように、少しずつ壊され、そこにマンションが建設される…、そのような現実もあります。大津祭の関係者は、「祭提灯の似合う、町並みを大切にしたい」とおっしゃいます。祭とは、そのような街の景観も含めた「場所性」と深く関わっているのです。
■最後に、iPhone4で撮った動画のリンクを貼っておきたいと思います。この曳山は、「源氏山」といいます。この曳山にのっているからくりは、「紫式部が水想観を得て源氏物語の須磨明石の巻を執筆したという伝承を舞台化したもの」です。ところで、動画の冒頭に登場するピンクのTシャツの青年は、龍谷大学のボランティアセンターの学生です。この源氏山を曳いている人たちも、龍谷大学の学生です。場所は、京阪京津線が走る坂道です。坂道で曳山を曳くには力がいます。曳き手を励ますかのように、テンポの速いお囃子が演奏されます。掛け声もかけられます。曳き手のボランティアとお囃子とが一体化します。最後、黄色い腕章の若者がいます。「龍谷大学」と書いてあります。私が指導している社会調査実習の学生たちです。この日、かなり龍谷大学的密度が高かったのではないかと思います。

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