廃校をたずねて I
〜 東秩父村立西小学校白石分校 〜
「東秩父村」というのは、埼玉県の中西部に位置する小さな村で、今でも「製紙業」が村の主要な産業である。
第2次世界大戦中にはここの和紙が日本軍の「風船爆弾」に使われたということだ。
村名に「秩父」の名があるが、厳密には秩父の文化圏ではなく、「比企」文化圏に属する。
村の中心部に東秩父小学校、西部山間部に西小学校があるが、広い通学範囲を擁する西小学校は、大内沢分校と「白石分校」を持っていた。
しかし、より山間僻地に建つ「白石分校」は平成14年度を以って休校になってしまっている。
@ 学校入口。
昔ながらの校門などはなく、通行車には入口はわかりにくい。
A 校庭の片隅に休校記念樹があった。
閉校ではなく、「休校」としてあるところに、村の将来への一縷の望みが託されているように感じる。
B 鉄筋、平屋建て。メルヘンチックで瀟洒な校舎だ。
地区の子供達が大切にされていたことがうかがえる。
こうした素敵な学校というのは、村の人口流出・過疎化の歯止めへの最後の砦だったのだろう。
その望みも絶たれてしまった。
C 人気のない玄関。
D 校舎の中も綺麗なままだった。
よく見るとクラスの表示が2−3年生の複式学級になっている。
本当に子供の数が少なかったようだ。
E 低学年の花壇に虚しくクロッカスが咲いている。
見渡したところ、3年生の花壇までしかなかったので、低〜中学年のための分校だったようである。
F ベランダに置かれたままの平均台。
タイルの継ぎ目からタンポポが芽を出していた。
G もう、子供達の歓声のあがらないブランコ。

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